聴けなかったコンクールでの演奏1 | スカイラインドリーミング

聴けなかったコンクールでの演奏1

1981年か82年前半かな?県の吹奏楽イベントで当時の長崎東高校の演奏を初めて聴いた。あまりの上手さにシビレまくりを通り越して唖然って感じだった。私の知人も「何と言っても長崎東ばい!シビレた!」と興奮していた。県北の上手い高校など寄せ付けない素晴らしい演奏だった。上手いだけじゃなく凄い感動を伴う演奏だった。


当時の長崎県吹奏楽コンクールは先ず県南と県北に別れて予選をし、そこで代表に選ばれた学校が、九州大会進出をかけた最終予選をしてたのかな?とにかく分けてあった。で、私は長崎東の演奏を聴きたくて県南部予選を聴きに行く事にした。長崎東だから九州大会進出をかけた最終予選進出は間違いないだろうからその最終予選に行けば良かったのだが多分行けない理由があったんだと思う。県南部予選は82年7月下旬だった筈。非常に楽しみだった。だが!ここ迄でピンとくる人は今や少ないかな?


その7月下旬の金曜夜、私は毎週視てた「太陽にほえろ!」を視ていたが、画面横にノイズが入り、見にくかった。あれ程ノイズが入ったのは後にも先にもあの日だけだった。原因は激しく降る雨。「凄い降り方だな」と思いつつ太陽にほえろを見続けた。その夜こそ1982年7月23日、死者行方不明者合わせて299人と言う多数の命を奪った


「7・23長崎大水害」


の夜だった。私は長崎南部居住ではなかったので難を逃れたが。長崎市は特に東部地区の被害が甚大だった。「長崎東大丈夫かな?」との思いが頭を過ぎった。