高校3年の時、就職情報誌を見て決めました。
地鎮祭などの式典と野外イベントの会場設営や運営をする会社に
正社員として就職しました。
収入が他社と比べて少しいいから家計の支援ができるのではと思った
からです。
面接の時、「うちはキツイぞ」と言われたけど「大丈夫です」と答えまし
た。大変さがわかっていませんでしたし、下調べ(企業研究)もどうして
いいかわからなかったです。
今思えば先生に聞けばよかったと思います。
そのままよくわからない中入社しました。そして驚きました。
今だったらブラック企業入りかも知れません。多いときには残業が
当時100時間を超える早出残業ありの会社でした。
求人票には土日休みとなっていたのに休めず、休みの日は
だいたい勝手に決められてしまう状態でした。
重いものも持たされたりトラックに過積載で走るなどバブル期だった
のでもう何でもアリでした。
仕事のキツさについて行けずまた仕事の段取りが覚えられず怒られて
ばかりいました。
神主さんの手間を取らせないため神式の祭壇を組むのですが
モタモタして式典開始時間ぎりぎりになってしまいます。
30分前に終わらないといけないのにです。
何度教えられても上達しませんでした。
余計な動きが多いと注意されますが本人は作業の手順を忘れて
しまい次何やるんだったっけとアタフタしています。
そして当日持っていくものをトラックに積み忘れたりして余計な仕事を
増やしてしまったりします。
おまけに奉献酒というお酒を落として割ってしまいます。
とにかく段取りをいくら教わっても、うまくできない。
朝起きられず遅刻が頻発、忘れ物も頻発さんざんでした。
無免許の時、会社のトラックで会社敷地内でトラックを運転したい
衝動にかられ運転して事故を起こしたこともありました。
免許を取ってからも時々事故を起こしていました。
4回ほど首にするかどうかの会議も会社で行われたそうです。
当時住んでいたのは会社の寮でした。なのに不規則な仕事という
こともあり遅刻していました。
給料は仕事が忙しすぎたので、3万円家に仕送りした後は同じ寮に
住んでいる先輩(気に入らないと暴力をふるう先輩)になかば強引に
スナックに連れて行かれ記憶を失うほど飲む羽目になり
お酒の飲み代に消えていき貯金が全くできませんでした。
元々貯金を計画的に貯めていくことができないのになおさらでした。
やがてうつ状態になり風呂に入らず歯も磨かない不潔な状態に
なっていきました。
仕事がうまくいかないのはなんか頭に異常があるのではと思い
精神科に通院しましたが当時は発達障害の概念はなく
睡眠薬を処方されただけでした。そのことを会社の先輩に相談したら
「そんな病院通ってると首になるぞ」と反対され一回行っただけで
通院するのをやめてしまいました。
結局仕事について行けず後先考えず4年半でやめてしまいました。