立て続けて地元の先輩が旅立った。

 

バドミントンというご縁が様々な人との出会いを作ってくれた。

だが、状況によって長く続ける事が出来ない人も沢山いる。

体調を崩し、以来、バドに復帰が出来なくなり疎遠になった人。

人伝にしか状況を聞けなくなった。そして、旅立ったという連絡が辛い。

しみ抜き屋さんという超技術者だった。

 

次は地元の印刷屋さんの社長。

ボランティア団体にも多く参加し、精力的に力を発揮していた。

仲間も多く、いつも笑いに溢れていた。

自分のクラブチームも持っていたし、自主的に合宿なども企画してくれた。

自分のチームでなくても自由に参加を促してくれた。とても楽しかった。

なんどか一緒に試合に出させてもらった。とても楽しかった。

ボランティア団体でも一つご一緒していた時期がある。

各団体や地元の活動の中でパンフレットや広報誌などを受注していることに批判をする人もいるが個人的には問題無いと思っている。

事情が分かっている人にやってもらうと、価格には見えない便利さがある。結果として手間が削減出来ている。

それだけ、無償の仕事をしているわけだから暴利をむさぼっている訳でも無いし、単なるひがみややっかみとしか思えない。

闘病生活は3年を超えてしまったか。。。

白血病は急に事態の急変を告げる事が分かった。

一緒に区民まつりでわいわいやっていた翌週、車の運転中に意識が無くなり、気がついたらベッドの上。

病名が発覚。薬の効果がなく、移植手術。一時期は回復し、自宅に戻れるぐらいまでになったがその後入退院を繰り返し、新薬に頼っていたようだが細った火が再び勢いを取りもどすことは無かった。

大変残念。

だが、人はいつか旅立つと思うと、とても良い人生を送られた人の一人に感じてしまう。

いつも仲間に囲まれて最高だったのでは無いかと思ってしまう。所謂平均寿命としては短かったが、一般的な物差しは意味が無い。

濃く充実した人生を送られたと信じたい。

 

本当にありがとうございました。

ご冥福を祈ります。