チェックインの時刻までは、まだまだありますけれども、このあたりで、温泉街へもどることにしましょう。
…と、そんな体でハンドルを切ったつもりなのですが、若干、道をまちがえてしまったようで、気づけば、ダムの真下にきておりました。
せっかくですから、近くまで寄ってみますと、ここから見上げる四万川ダムの威容は、まさに難攻不落の城塞がごときに映り、おなじ構造物でありながら、上から見下ろしたときの印象とは違って、そこはかとない安定感安心感のようなものが、感じられるわけであります。
私にとりまして、つい先程とは正反対の感想が、この場所において湧いてきたわけですけれども、その根底には、つまるところ、寄らば大樹の陰、なんてな言葉にもあるように、己の社会的立ち位置も、このあたりで慎ましやかにすごしていくのがお似合いなんだと、何の気なしにおとずれたこのような場所で、そんな人生訓を現示されたかのようでもあり、そう思ってしまえばもはや、鼻から抜ける乾いた笑いが出てしまうだけの、私なのであります。
そんなこんなで、今宵の宿がある温泉街へとやってまいりました。
こういうところだけは、シティ派の私ですから、昔ながらの姿をのこす町並みの中を、車で縫っていくという行為は、これでいてなかなか難儀するわけでありまして、這々の体でようやく、駐車場にたどりつけば、ここからは徒歩にて、はじめて訪れる四万温泉の風情を堪能してみようかと思うわけであります。
とはいえ、そこは言わずと知れた体たらくな私、いくらも行かぬうちに見つけたカフェにて、さっそく腰を落ち着けてしまえば、結局のところ、日常を忘れんがために、はるばるやってきた旅先でも、そのダラけた気構えは、いつもとなんら変わらないわけでありまして、いつものごとく、方向性はかなり違えども、そんなことは普段あまり意識していない、頑固一徹を貫く己のスタンスに、うっかり気づいてしまうのであります。
温泉マークがあしらわれたカプチーノをすすりながら、そんなことを考えてしまった私の鼻からは、またしても乾いた笑いが、コーヒーの香りとともに抜けていくのであります。
焼きまんじゅうという食べ物は、このあたりの名物とのことであります。
はじめて口にする私にとりまして、その甘いような辛いような味覚は、なかなかにして新鮮なものに感じられ、そういったご当地グルメなんていうのも、旅先での醍醐味なのですが、噂によると、宿での夕食は、どうやらとてつもない量がでるとのことですので、今のところは、おなかの虫が騒がない程度に、たもっておかねばならぬようであります。
そんな誘惑にもめげずに、そぞろ歩いてまいりますと、一角に、飲泉所なるものを発見しました。
四万の温泉は、浴びるだけでなく、飲んでも効くとのことで、その効用は、胃腸病や食欲増進、おかげさまをもちまして、我が消化器官には、すくなくとも自覚する症状はありませんが、今宵の夕食を、よりおいしくいただくという目的においては、その効力にすがるのも、やぶさかでなかろうかと存じます。
さっそく試してみようとするも、湧き出る湯を口まで運ぶ、何らかの容器がそこにはありませんから、必然的に、手がその代用となるわけで、いざそこに差しのべてみれば、思いのほか熱く、それを飲むなどということは、到底できません。
そんな、想定外の展開に、若干のおどろきを感じつつも、せめてその雰囲気だけでもということで、手に残った雫を口に含んでみましたが、その風味は、鉄分と塩分がほのかに感じられた次第で、これはまあ、良薬口に苦しなどという、すっとぼけた解釈にて、お茶を濁すのが吉のようであります。
陽は出ておりますが、気温はだいぶ低く、本日は、各地で初雪の便りが来ているとのことであります。
ここでも、できたてホヤホヤの上州のからっ風に乗って、雪がちらちら舞っており、ゆめゆめ積もったりはしないでしょうけれども、一足先に、本格的な冬を堪能しようとやってきた者にとりまして、それは願ってもない演出なのであり、同時に来た甲斐があったということなのであります。
雪を見てよろこぶという行動パターンは、もはや犬と同じレベルなのですが、そんなことはさておき、こうなれば一刻も早く、ぬくぬくぐうたらしたくなってしまう、そんな私なのであります。
いてもたってもいられませんが、宿には入るには、あと一時間ばかり待たねばならぬようであります。
おしまい





