幼児をあなどるなかれ 感受性のすばらしさ そして教育の恐ろしさ | 「見る」のではなく「観る」視点

「見る」のではなく「観る」視点

いろんな出来事を心理学を交えて分析することに挑戦するブログです

小さな子どもがいればたいていお世話になるNHK「Eテレ」。
私は「おかあさんといっしょ」のたくみお姉さんに恋をしていることもあり、毎朝子どもと一緒に朝から幼児番組を見ている。

ノリノリの歌が多く、0歳のときから「キャッキャッ」と喜んでいる。


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ところが、2歳になったばかりのムスメが、突然「シャキーン」という番組の途中で涙ぐんでいる。

それまた、転んだり、叱られて無く「ぎゃーん、うぁーん!」というワンワン泣きではない。
じっとこらえる涙があふれて、それを歯を食いしばっているような感じだ。

どんな歌だと思ってみると、「お星さまは知っている」という歌だった。
特に音色が悲しいわけではない。むしろテンポは良い。
ただ、よく歌詞を見ると結構深い。
http://www.nhk.or.jp/kids/shakiin/song/shakiin_song18.html


その数日後、また同じように泣き出した。

こんどは「いい物語」という話だった。
これまた、音楽のテンポは別に暗くない。
ただ、こちらも人の一生を描いたものだった。
http://www.nhk.or.jp/kids/shakiin/song/shakiin_song_new.html


もちろんムスメはまだ字が読めないので、歌詞を読めないのに。


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生まれて2年。わずか800日足らず。

自分が痛いから泣くのではなく、自分が叱られたから泣くのでもなく、他人の悲しさ、つらさを見て涙ぐむことができる。

自分に直接なんの利害も無いことに対して、感情をしのばせることができる。
心を通わせることができる。

目の前のおてんばムスメがとても美しくてまぶしくて、うれしかった。


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ふと気づいた。

心理学でもこんな話があったような気がする。

もともと子どもはこういう感受性やいろんな能力を本来は備えている。
それを環境にあわせて必要なものだけを残し、残りの能力は不要だと判断して捨てていっていると。

つまり、子どもの成長環境そのものである親がそういう感情を表現する子どもに感心をもたなかったり、叱ったりすると、その能力を捨ててしまうのだ。


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昨日、難波と梅田で買い物をした帰り、ちょうどその中間地点である心斎橋で通り魔殺人事件があった。
この犯人に限らない。
今の日本には人を殺しまではしなくても、心無い人間はたくさんいる。

そんな人間を育てた親は、子どもが小さいころもっていたそんな心を「そんなもの生きていくのにいらないよ」と教えてしまったのだろう。


いや、そんなことは教えていない、と親は思っているだろう。
けれど、「いい学校にさえ入ればいい」「いい成績がとれたらいい」「いい会社に就職できればいい」と言うことは、同じことをなのだ。
勉強と入試と就職以外のことはたいした価値が無いという言葉に子どもには伝わるのだ。

その結果が、もし、今の心無い人間の大量生産だとしたら、なんと悲しいことだろうか。


私のムスメはそんな親御さんたちからしたら、無駄なことばかり教えられている子どもかもしれない。
でも、涙ぐむムスメの姿はなんど思い出しても、こちらまで涙がでるくらいとても輝いて、やさしくて、美しい。