朝、うっすらと目覚めて、
さぁ起きようかどうしようかと悩んでる時間。
あぁー今日も仕事かぁー、とか
今日はあれやってこれやんなきゃー、とか、
考えてたりする時間。

頭はちょっとぼんやりしてるときに、
変に面白い考えが思いつくことってないですか?

今日は、その起きる前にふと頭の中で考えたことをお話します。


前日、飲みに行ってそこで子育ての話を聞いたからなんですが、
性善説と性悪説のことを思ってしまったわけです。

飲み屋で聞いた内容は、
親曰く、「子供は自分の悪いところは似て、いいところは似ない」と。

自分の中では、自分のいいところって似るような気がしてたんだけどなぁ。って、
ちょっと残念な気持ちでした。

親の悪い部分が似るっていうのは、
子供の悪い部分を見て、
「自分も悪い部分だから注意ができない。」
っていう感じらしいのです。

でも、きっと才能の部分って似ると思ってるんですけど、
違うのかなぁ。
悪い部分っていうのは、性格とか行動とかそういう部分を言ってるのではないか?と。


もともとの性善説と性悪説の話に戻ると、
孟子が唱えた性善説、荀子が唱えた性悪説。
僕は絶対、性善説だとずーっと信じてました。

だけど、子育ての話を聞くと、性悪説なのかなぁーって。

黒丸(●)を悪、白丸(○)を善だとすると、

親をこのように表現:●●○○○●○●

親は、子のしつけをする。けど、自分の悪いところは、注意しない。

性善説なら、

○○○○○○○○(子供)
    X 掛ける
●●○○○●○●(親)
   = イコール
○○○○○○○○
   +世間の悪い影響
○●○●●○○●
こんな感じ?

性悪説なら、
●●●●●●●●(子供)
    X 掛ける
●●○○○●○●(親)
   = イコール
●●○○○●○●
   +学ぶことでいい方向に。
●●○○○●○○
こんな感じ?


まぁー、こんなことを寝ぼけながら、
朝考えてる自分も自分だけど、
今もだからなんだ?って感じなんですけどぉー。

上の論でいくと、
性悪説のほうがなんか良いね。


いや、、、だから、なんだ? って言われると、それは困りますが・・。