先日一番下の妹が「オメデタ」と母から聞き、竹中家の血筋が全滅を迎える最悪のシナリオを回避した。ちなみに妹は名字が変わった為、家計図上では危機の瀕していることに変わりはない。まあ取り敢えず血筋は続く兆しが見えたわけだ。よかったよかった←他人事だな、オイ
長男である自分の後に、二人の妹を生んでいる母、改めて 何歳で自分を生んだのだろうか? と気になり、逆算してみると衝撃を受けた。
25才!
思ったより若かかった。
25才の自分を思い返すと、地元のレンタルショップでバイトをしながら自主制作の機材を買う為、コツコツ貯金をし、なかなかメンバーが集まらず最終的に、《札幌移住計画》を実行に移したあの時期と完全に被るのである。
その年で、恋愛、結婚、出産を経て子供を育てている自分なんて、正直言って、全く想像出来ないのである。計算間違えていないよね?
先日、母のガラゲーをスマホに切り替える作業(要するにデータ移行や操作方法)を説明して実家に戻って、親孝行しているなー気分を味わっていた自分を呪ってやりたくなったのは言うまでもない。
ちなみに今の年齢で計算すると。この年で既に子供三人、長男7才(小1)がいる生活である。
何度も言うが全く想像できない(汗)
両親共に子供を育てることで、諦めたことが多々あっただろう・・・。
ところで最近、年のせいかだろうか
物事に対しての最後 に敏感になったと日々感じる。
今年になって祖父が亡くなり、
何度も使っていたロケスペースが老朽化で 店じまい をし
結構な頻度で通っていた愛着のある映画館が老朽化で閉館し、
前に勤めていた接客業の職場が経営悪化で閉店し、全く面影ない別の店に変わり
家の近くに位置する某テレビ局が移転し、以前深夜でも明るさを感じたあの景色は消え、夜は真っ暗、
自主制作映画で何度も出演してもらった生徒が次々と卒業(退校)していき
他にも連続アニメの最終回、映画の終盤、小説の残りページ数が数枚のあの瞬間
そして極めつけは今回の 引越し である。
全ての物事において、永遠に続くということはありえない。
そう頭で認識していながらもいざ、その場に立たされると、何とも言い難い感情が見え隠れする。
以前までなら「あ、そうなんだ、残念だなぁ」で済ましていたことでも、
もしこのまま永続している別の時間軸が存在していたら…、とかいろいろ考えてしまう。
もう絶対的に戻ることができない瞬間、時間だ。
それもこれも脚本や小説を書くにあたりぶつかる問題、理由付け が影響しているのだろうか。
近いうちにこのテーマで、物語を綴りたいと思う。
覚えておきたいこと
忘れないように語り継ぎたいこと
今、語らなければならないテーマだからだ。
このように 竹中映画が創作のきっかけ は、ふとした身近なところから
次々と湧いてくるのである。
創作意欲が消える日は、まだまだ先の事だと信じたい。
しかしいつか必ず終わりが来る。
後悔しない為にも、自分の手で一本でも多く
物語をこれからも語っていきたいと思う。
映画だからこそ、魅せれる世界がある と信じて。