夏越大祓え明け 7月1日に

 

図らずもブログタイトルを変更致しました。

 

 

 

以前のブログタイトルは

 

「人生は禍福あざなえる縄のごとし」だったのですが、

 

これは、キラキラスピリチュアルではなく、

 

わたしたちの人生は、禍福織りなすものだよ、

 

だからそこにいつまでも居ないで

 

人生というものを超えていこう!という、

 

私自身への希望、目標という意味でつけていました。

 

 

そして、私のその時々の理解したことや、感じたことを

 

記事でシェアしてきました。

 

 

 

わかってもいないのに、わかった風を装うようなことは絶対にし

 

ないと決めて書いていました。

 

 

なので、キラキラしてないし、誰も読む人いなんじゃないか、

 

または、読んでも何のことか伝わらないんじゃないか、と思い

 

ながら更新していました。

 

 

 

この記事で当時の気持ちを書いていますね。↓

 

 

 

 

そして、新たなブログタイトル

 

「空っぽの豊かさ」が生まれました。

 

 

 

 

禍福を味わい、それを超えていったところは

 

わたしたちの本質、空っぽの豊かさでした。

 

 

何にも無いけど全てが有る

 

 

 

優しい、清々しい、生き生きとしたそれが、

 

わたしたちの中心に有るのです。

 

 

 

それをこれからも共に生き、分かち合って参りたいと思っており

 

ます。

 

 

 

新ブログタイトル記念に、

 

「チャネリング by メール」サービスを始めました。

下矢印

 

 

 

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

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わたしたちがずーっと

繰り返してきた

誤ったひも付けについて。

 

 

 

 

 

人生は

わたしたちがコントロール

できるものではなく、

 

 

 

 

 

縁が織りなして展開している。

 

 

 

 

 

人生はわたしたちの

思惑を超えて

形を変えながら 変化し続けている

 

 

 

 

 

人生の出来事も 自分の思考も

 

 

わたしたちの希望や願いを超えて

湧き上がり、展開している。

 

 

 

ただ、湧いてきて、通り過ぎていく。

 

 

 

青空を通り過ぎていく雲のように。

 

 

 

起きてきた出来事も

頭に浮かぶ思考も

過去の記憶にひも付けないで。

 

 

 

 

 

ただ、そういう思考が

通り過ぎていっていると眺めていよう。

 

 

 

 

それらは 全て

個人に起因してはいない。

 

 

 

 

 

出来事、思考も、感情も

わたしたちのコントロールを超えて

展開して、形を変えて

やがて消えていく。

 

 

 

 

 青空だけがあるのだ

 

 

 

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『現実』とは

 

 

目の前の事実のこと。

 

 

 

 

その時に起きている

 

 

脳内のおしゃべりでは ありません。

 

 

 

 

 

 

ここがとても 重要です。

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは

 

 

脳内のおしゃべりを 現実と

 

 

混同してしまっています。

 

 

 

 

 

 

脳内のおしゃべりは

 

 

現実ではなく 想像、空想です。

 

 

 

 

 

まだ、何も起きていません。

 

 

何も起きてないのに

 

 

あたかも起きているかのように

 

 

反応している。

 

 

それが多くの人の人生です。

 

 

 

 

 

空想で嫌な気持ちになっている

 

 

自分に気づいたら、

 

 

『現実』に戻ろう

 

と思ってみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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わたしね、子どもの時から

いつも感じてたことがあったんです。

 

 

 

 

 

 

それは、どんなすごい人も、

素晴らしい功績を残した人も

大好きな人たちも

 

 

 

 

 

 

皆、同じように

最期は亡くなっていく

 

 

 

 

 

 

すごいから亡くなる時も

非凡でかっこよい死とか

 

目を奪われるほど神々しい死とか

ないですもんね。

 

 

 

 

 

 

 

みんな同じように

亡くなっていく

 

 

 

 

 

何も持たずに生まれて

何も持たずに亡くなる

 

 

 

 

 

これがなんか子供心に、不思議というか

物足りなく思ってたんです。

 

 

 

 

 

 

わたしたちは、特に

自分が尊敬する人、

師匠と思っている人などには、

 

特別でいて欲しいって

思うものなんですよね。

 

 

 

 

 

そして自分のことも

特別でありたいと

願うものなんですよね。

 

 

 

 

 

わたしもそうだったなと

思いました。

 

 

 

 

 

誰も彼も みな当たり前

目は横で鼻は縦。

 

 

 

 

 

あらゆる花はあれど

時節が来て 花は咲き、

 

時節が訪れて 花は散る。

 

 

 

 

 

ここに特別性はありません。

 

 

 

 

 

そう思って、周りを見渡してみると

少し、優しい気持ちに 包まれませんか

 

 

 

 

 

ゆるすもゆるさないもなく、はなからゆるされているんだよ

そんなことすら考えてないけど

 

 

 

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