1月24日、父が倒れてから541日目。


早朝5時過ぎ、約1年半頑張ってきた

父がとうとう逝ってしまいました…ショボーン


5時12分、突然スマホが鳴り響き

慌てて手に取ると病院からでした。

何かあった時は母ではなく私に連絡を

してもらうように病院には言っていま

したが、危篤時の連絡は1.母、2.兄と

なっており、まさか自分に電話がある

とは思わず完全に油断していた私。


『◯◯さんの心臓が止まりました』


え…?

危篤の連絡じゃなくて、死んじゃったの??


一瞬、釈然としない思いが湧きましたが、


『どれくらいで来て頂けますか?』


と言われ、母と姉が30分以内に向かえる

事を伝えると、母への連絡は病院側から

した方がいいかと聞かれたので、私から

連絡すると答え電話を切りました。


とうとうこの日が来てしまったのか…


予兆はあったんです。

1月に入っても父は眠っている事がほとんど

でしたが、呼び掛けや音楽に反応する時も

あり、どんどん弱ってはいるものの何とか

持ち堪えていました。


ですが、痰の吸引は1時間に1回はしないと

いけないほど多くなり、間に合わなくて窒息

しないよう吸引チューブを入れたままの日も

あったそうです。


もうダメなのか…そんな風に思う状況でも

その度に父は持ち直してくれました。


ところが20日にとうとう痰を詰まらせて

チアノーゼを起こし、早急な処置でその時は

事なきを得ましたが、その翌日から意識が

なくなり血圧も80〜60の上下を繰り返し、

22日には尿も止まってしまいました。

看護師さんには、いつでも電話に出られる

ようにしておいて下さいと言われた母。


これはもうマジで危ない ガーン


母からの連絡で23日、兄と姉が急遽帰省。

午前中に母と兄、午後から母と姉が面会に

行ったのですが(私は早ければ1時間半で

帰れるのでまだ自宅待機)、


父、意識が戻っていたそうで 照れ

目をしっかり開けて、辺りを見回したり

首をもたげたりしていたそうです。

呼び掛けには反応しなかったようですが、

(もう何も分からなくなってたのかな?)

尿も少し出て看護師さんもビックリして

いたんだとか。


毎回ですが、父の生命力の強さには担当医の

先生も看護師さんもヘルパーのおばちゃんも

みんな『スゴイ』と感心してくれていました。


そんなこんなでホッとひと息。

もう少し大丈夫かな?なんて母と娘たちは

安心し、休めないと言っていた仕事を無理

して休んで帰って来たクソ兄に至っては、

『看護師の言う事を全部信じるな』

とブツクサ文句を言いながら単身赴任先へ

帰ったそうで(この男、とことんクズムカムカ)。


今思えば、あれが前々回にお話した

『中治り現象』だったのでしょう。

父は最後の力を見せてくれたんです おねがい


父が亡くなったのは、その翌朝でした。


クソ兄、結局またトンボ帰り。

ザマミロ ニヤリ



正直、悲しさはあまりありません。

なんせこの1年半、覚悟し続けてきま

したから。だから、今のところ誰も

涙を見せていません。


ホッとした…それが今の心境です 。

ミイラのように痩せ細った父の姿を見る

のはあまりにも辛かったですし、何より

父が可哀想で…


私の中の父は、いつだってシュッとした

ダンディな姿 ウインク


火葬場の予約がいっぱいで、父の葬儀は

結局27日になってしまいました ガーン

真冬で良かった…


ポッカリ空いてしまったこの2日間。

ゆっくり父を偲びたいと思います。


私は亡くなる前日に一時的な回復を見せた

父には会えなかったし、看取る事もできず

でしたが、何も後悔はありません。


うちは浄土真宗なので、父は亡くなった

その時にもう極楽浄土へ行っていますし、

元気な時に親孝行もできましたしね!!


葬儀社や葬儀プランの内容については、

また後日ご報告したいと思います ニコニコ


1年半続いた父との長い散歩は

これにて終了。

(ブログ自体はもう少し書きますが)


父を気遣って頂いた皆さん、

このブログを読んで下さった皆さん、

本当にありがとうございました!!おねがい


そして……



パパ、

1年半も頑張ってくれて

ありがとう。

いっぱい可愛がってくれて

ありがとう。


84年間、お疲れ様でした!!