伏見工業~同志社~神戸製鋼と
歩を進め、史上最年少の日本代表、
W杯3回出場、日本代表の監督など、
まさにラグビーの申し子のようだった
平尾誠二が逝った。享年53歳。
早生まれだったから学年では一つ
上だったけど、同じ昭和38年生まれの
早すぎるノーサイドに言葉を失った。
タイ国王の崩御もショックはショック
だったが、平尾のケースは「まさか!」が
あったことと、レベルは段違いだったけど、
同じ時代に楕円球を追った選手でも
あっただけに無力感というか切なさというか、
身体の芯から力が抜けていくような、
不思議な感覚に今は襲われている。
端正なマスク、明晰な理論とそれを
実践できる技量、軽快な話術…
どれをとっても完璧にキマる、ラグビー界
きってのイケメンプレイヤーだった。
クールな振舞いの中に熱い情熱と厚い
人情を持ち合わせた男でもあった。
競技場を後にするとき、若い女性の
嬌声には振り向くどころか顔色一つ
変えずに完全無視を決め込みながらも、
ある老紳士がおずおずと差し出した
色紙に足を止め、手にしたヴィトンの
バッグを平然と地面に放り投げ
「お名前は?」と聞きながら丁寧に
サインをしていた逸話などは、男の
自分から見ても「カッコイイ!」そのもの
だった。
私の知るベストゲームの一つに
挙げられるのが、日本選手権、
新日鉄釜石 vs 同志社@国立競技場。
釜石の怒涛の攻めを堪えながらも、
閃光のごとくドロップゴールを決めた
その姿は今も目に焼き付いている。
あのゲームを現場で見ることのできた、
いい時代に自分も現役生活を送れたと、
今宵しみじみ思う。
早稲田の宿沢、石塚… 慶応の上田…
そして平尾… 本来なら2019W杯の
ためにまだまだ日本ラグビーの強化に
力を貸してほしかった人たちが次々と
ノーサイドの笛を聞いている。
そういえば釜石の洞口も逝って随分
経つなぁ… そろそろあっちでもジャパンが
組めるのではなかろうか?
明治、松尾雄治… まだ逝くなよ!
(文中敬称略)