米系キャリアのアジア戦略見直し(1) | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

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ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

 同僚が今日から夏休みを取り、
ニューヨークへ行った。

 格安で席が取れたとのことで、キャリアは
デルタ。かつてはノースウエストが飛ばして
いたニューヨーク、JFK行きのフライトである。
昨夜「成田発のJFK行きデルタ便に乗るのは
最後だろうから心して乗っておいで」と声を
かけたら怪訝な顔をしていた。

DAL B777
 デルタ航空は先週、9月末での成田~
バンコク線と成田・関空~ニューヨーク線
からの撤退を発表した。

 東南アジア線(特にバンコク線)と
ニューヨーク線は個人的に思い入れが
ある路線なので、ちょっと長くなるが
いろいろと思いを書いてみよう。

 成田からの以遠権を持っていた
ユナイテッドと旧ノースウエストは、
成田をハブに北米と東南アジアを
広く結び、人・物の大きな流れを
日本にもたらした。着陸料と停留
料が高額な成田での停泊を嫌い、
北米各地から午後成田に着いた
便を夕方東南アジア各地に飛ばし、
現地で夜中に折り返し整備を行い、
翌早朝に成田へ向けて出発させ、
午後~夕方の最高の時間帯に
北米各地へ向けて出発させる
経営戦略をとっていたからである。
 
 そのため、ユナイテッド、ノース
ウエストの両便は成田を午後6時半
ごろ発ち、バンコクには日付も
変わろうかという午後11時半過ぎに着。
帰りは午前6時台に出発なので、
ドンムアン空港(当時)には4時
過ぎには着いていなければならない
という、アジアトラベラーにはかなり
時間を無駄に使うスケジュールで
運航されていた。旅の初日と最後は
絶対に移動だけで潰れてしまい、
ツアーでこの両社の便を指定されると
3泊4日の日程では実質2日しか
現地で使えなかった。自分で旅程を
組んだときは、最後の夜は夜通し
遊んで寝ないまま空港へと直行した
ものだった。(一旦寝たら絶対に
起きられない自信があったから)

 それでも訪タイ初期のころに
好んでユナイテッドを使って
いたのは、自分が星組(スター・
アライアンス)だったという
こともあったが、何といっても
お手頃な価格からだった。
これはノースウエスト(デルタ)
ユーザーも同じ感覚だった
だろうと思っている。
 
  (つづく)