沖縄の傷跡 | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

PTD ~ Pilot To Dispatch ~

ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

 敗戦後70年が経過した。
先日は沖縄線終結70年の
慰霊祭も行なわれ、改めて
我々内地の人間は大東亜
戦争で沖縄を捨石同然に
扱ったことに思いを馳せ、
それを忘れてはならないと
いう気持ちを新たにした。
 
 敗戦後、長らくアメリカに
占領されていた沖縄は、
43年前(1972年)、ようやく
日本に返還された。しかし、
空には今でも占領の歴史を
刻んだいくつかの名残がある。

ICAOが設定した日本の空港
コードはRJxx(Jは「Japan」を
示す)で表記されるが、沖縄
(北緯27度以南)地域はROxx
(Oは「Okinawa」)で表記され、
1国に2つのICAOコードが
あるという不思議な国になって
いる。

 FIR(飛行情報区)と呼ばれる
管制区域も、今でこそ福岡FIR
と呼ばれ、RJJJのコードで統一
されたが、つい9年前までは
東京(RJTG)と那覇(RORG)に
分かれていて、東京から沖縄に
飛ぶクルーがブリーフィングの時に
出国書類を持ってきたりして、
随分とと面食らったものだった。
 
 VOLMETと呼ばれる航空気象
通報にいたっては、今でも沖縄
地区を除く日本エリアは東京が
担当し、沖縄地区は香港が担当
するなど、かつての敗戦の傷跡
がまだ残っている部分もある。
 
 喉元過ぎればではないが、
我が国を再び戦争をする国へ
戻そうとしている者が出てくるほど、
地上では敗戦の教訓うが忘れ
去られているのだろう。しかし、
空には消えることなく、色褪せる
ことなく、今もはっきりと敗戦の
傷跡が残っている。
 
 70年前に我々がしたこと、決して
間違った戦争だったとは言わないし、
これっぽっちもそう思ってはいないが、
そこで何があったのかは決して
忘れてはならないことだと思う。