昭和39年(1964年)4月1日 | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

PTD ~ Pilot To Dispatch ~

ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

 今から51年前の今日、日本政府は、
国民の観光目的での海外渡航を
自由化した。敗戦後19年、その前月に、
国際通貨基金(IMF)8条国への移行が
IMF理事会で承認され、円が世界で
交換可能通貨となったのに続き、この日、
経済協力開発機構(OECD)への加盟が
実現し、日本の国際化が目に見える形で
動き始めた日と言ってもいいだろう。
この日を「第2の開国」と呼ぶこともあるという。
 
 その数年後、幼稚園だったか小学校に
入りたてだった頃、業界の視察団か
なんかでニューヨークへ出かける父を
羽田へ見送りに行った事を覚えている。
パンナムのB707に乗って、ハワイを経由、
サンフランシスコへと太平洋を横断した
フライトだったらしい。
 
 当時の羽田も国際空港で、出国審査に
向かう通路には赤絨毯が敷いてあり、
出国後でも、登場口まで透明のアクリルの
壁で仕切られた通路から、まるで刑務所の
面会のように父と話ができたことも鮮明に
覚えている。搭乗はタラップで、冗談抜きに
本当に送迎デッキでは幟や旗が打ち振られ、
親族一同、果ては銀座のクラブのママまでが
見送りに来ていた盛大な出発光景だった。
(ちなみに我が家は幟の類は用意せず、
かなり寂しい見送りとなったが…)
 
 大分後になって聞いた話だが、当時の
レートは1ドルが360円。1人500ドルまでの
外貨持ち出し制限がつけられていて、父は
有楽町のガード下の「闇ドル屋」で、1ドル
400円で追加の資金を作り、腹巻に隠して
渡航したとか… 500ドルでも18万円… 
総務省の発表した1964年と2014年の比較
PDF  
にもあるが、はがきが5円 → 52円、国鉄
(今のJR)の初乗りが10円 → 133円、
ラーメンが平均59円から580円になっている
ことを考えると、当時としては随分な金額を
持っていったものだ。
 
 時は流れ、今は大学生が卒業旅行等で
普通に海外を回る時代。当時と比べると
隔世の感はあるが、それも全て、先輩方が
娯楽も家庭も省みずに人生の大半を労働に
捧げてくださった結果、世界最強クラスの
通貨とパスポートを今の世代が持てている
からだ。
 
 TPPが叫ばれる今、貿易が「第3の開国」
として歴史に刻まれるのか? AIIBや領土
問題など、金融・国防情勢もわが国を
揺さぶってきている。次の50年で、日本人の
海外進出はどのように変わっていくのだろう…