相棒登場‼

 初めて出会ったのは、約52年前の高校2年の春休み。クラスの同級生に誘われた「パチンコ」。当時のパチンコは今のような派手さもなく、店内に流れる音楽の音量も比較的に小さく、常時流れてはいなかった。忘れた頃に、演歌とか歌謡曲が流れてていた。現在、この雰囲気に近い場所は、射的場のような施設がある温泉地しかないだろう。

 店内に入ると、1列(列のことをシマと呼ぶ)20台ほどのパチンコ台が3列にならんでいて、椅子がなかった。立ったままで長時間打つととグッタリ疲れる、重労働の娯楽であった。

 当時のパチンコ店では、今のように台の横(サンドイッチ)に玉貸機が設置されていなかったので、カウンターまで行って、カウンター内にいる昔のおねさんが玉貸機のレバー操作(今のように簡単ではなく、店員に出して貰うのが一般的であった)で玉をを貰い、自分が打つ台を探す、手間がかかったが、負けた時に店から出易すかった。なぜなら、プリペイドカードのない時代だから、軍資金がなくなれが、球が買えない、カウンターまで行く気力がなくなるから、それとカウンター内に昔のお姉さんではなく、今のお姉さんがいると、何度も球を買いに行くのが恥ずかしくなるからである。中には今のお姉さん目当てで、台風でも大雪でも営業している限り、毎日通う、昔のお兄さんもよく見かけた。初めてのパチンコは打つ前から答えはわかっていたが、勝てると期待して、ドキドキしていた。一時間後、友人は慣れているらしく、玉入箱と呼ぶべきかわからないが、小さな箱に玉を一杯いれていた。私はむなしく、早期に敗北、虎の子1000円のうち500円も負けて意気消沈。指をくわえて、友人を見ているだけだった。しかし、世の中、HAPPYENDではなかった。店を出て別れた直後、友人の中型バイクがスリップして転倒、自損だが、ガソリン・タンクを凹ませてしまった。パチンコで勝っても、修理代のほうが高く、大赤字。この世は幸運と不運は平等に訪れる。これだから、人生は面白い。と考える自分には幸運の女神は微笑まないと気が付いたのはそれから数年後、考えを改めてからである。・・・・・続