エアトリで 焦って 前もって取ったチケット。


条件が変わることとなり


キャンセルもできないし



航空会社に直接 調整 ちゃんと帰りに帰国出来るようにするしかないのだが




各ルートに

乗り換えを 挟んで 安くしたのに




何と!


今 航空券を探してみたら


時間に偏りはあるものの


帰りを直通のチケットもあり、


全路線


直通の方が 心配せずに


確実に 現地に到着出来る…


調べるのに

疲れてきて  



ここで寝落ちした



私のブログは 心の声がダダ漏れの


デイリー タイムリーな


日記 というか 思ったこと


つぶやき を越えて



書き綴ることで


解決に向かうので



安心して欲しい


今は 去年までの 病み はない。



18年前に 妊娠したから


自分の夢 全てを失った


その苦しみは 子育てに 付きまとった


他の自分の友達が夢を叶えて


世界に出ていくのを


羨ましく


私も確実に叶えるための準備が一瞬で消えた


短大を卒業したら 


別れる予定の彼氏

(子達の父親)の子供を妊娠したからだ


私達はアメリカで出会って アメリカで数ヶ月一緒に居た


だから、アメリカには戻ると思っていたのだ



とんだ 災難 



結婚後に まさか 全く知らない土地の

義祖母の 店をする 事になった



目の前にあること


育児仕事家事介護…義両親からの色々



とにかく やって


子供を育てる環境にしなくては行けなかった



子供にご飯を食べさせなければならなかった


子供に 


子供に


子供に



育児て 辛い



私の経験では 結婚後の生活は1人で抱えなければならないことが多すぎて



結婚相手を リスペクト する事が出来なくなった。


結婚当初から 遊び歩いて 帰ってこなかった 女といた 等



信頼 とは 程遠い中で



正統派 な お母さんたちから見たら




色々と 中間地点 のような所で


やってきたのではないだろうか



PTA関連も 各種役員もするが


仕事も 中途半端にパートで


ガンになり

表舞台からは姿を消して


夜もバーテンダーで働き


コロナと共に 夜の飲食店の仕事は消えた。


石橋を叩き割って 再築する性格


昼職と掛け持ちをしていたおかげで


無職には ならずに 今に至る

(ここ数年の出来事だが、フルタイムの正社員で 抗がん剤治療を受けたり、予後を過ごしたり、経過を 正社員で働いている人を スゴイ と思う。体力的な話。私は小学生の子育ても していたので不可能だった。人生は酷。離婚していたら 家賃や 子達の色々をする事が出来なかっただろう。抗がん剤治療の…入院生活での治療…子達を父親のもとに置いておきながら 最善の治療を受けるのがこの地では出来た。完治して 病院に行かなくなった。この土地への縛りがまた1つ無くなった。)


昼職1本のパート契約に戻り 資格を取った。



朝です。


なぜ こんなことを書き始めたか



夜と 朝



考えることが全く違い




認知療法に入っている



認知療法 とは、


記憶の吐き出し と 


その嫌な記憶が積み重なっていくばかりの結婚生活も あと数年で終わる爆笑




子供 に かかる お金 時間 


それを 犠牲 と言うか


生き甲斐 と言えるかは



その人次第だろう




私は 義務教育 が終わって



肩の荷がおりた





子供のために生きなさい



子供が出来て 夢を失ったのに



自分の命も 時間も

自分のためではなく 子供のために使わなければならない


そんな生活が 楽しいわけがない


なぜ そんな 言葉を


私の母親は 私に 言って 縛りを作ったのだろうか…




そんな事 言われなくても




世の中の 母親(父親)の 大半は


とてつもなく 義務を押し付けられる


 子を育てあげるまでの義務だ。


しかしながら、


どうやら 最近は 私達の時代に


あれほどまでに 苦しんで


保育園に入れない 時代は終わったらしい


園児不足で閉園する所まであるという 驚


順番待てど暮らせど来るわけない


本当に働くことが必要な人間に


子育てを手伝ってくれる 


手 を差し伸べてくれる人はいない。





本当に 助けて欲しい時に


助けてくれる人も いない。




去年 ブログに戻ってきた理由が



助けが欲しかったからだ。


かなり キツかった。


唯一に がんの時の ブログの中でのお友達に 救われた。



周りの人が


アル中になるほど


メンタルが 酷かったから


そんな


 私を見捨てる中




職場の、人は 仕事だから と


仕事上の付き合いを 大人の対応で 過ごして下さり


仕事を辞めてくれと 言われることも 無かった。これは感謝だ。


お金が無いと 何も出来ないからだ。



常に 仕事と 微々たる収入を継続して得るのは、


自分の最低限の保身の為だ。





友人には 迷惑をかけてきている。






まぁ、でもさぁ、


どうにかなって良かったよね~


HAHAHA 笑


まで きた。


この1年、いや 2年かもっと?



長かった。





子供は 自分で働ける歳だ。


もし

高校行きたくないと言ったら、


働けばいいだけだ。



学歴など…



大いに関係ある事に気づくのは


なりたい職業の種類と なるために必要な資格を見た時に 気づくのだ。


短大卒以上の仕事しか 私は選べない…


お金と時間があれば、


四大卒 大学院卒…まで


チャレンジすることは 出来る。


今ないから 諦める ではなく


方法がある事を 知る事は大切だ。


39歳だから 諦める と言うには



そう考えると まだ 諦めるには早いのではないか?




ねぇ、私達、死ぬには早いんじゃない?



と、言いたい所だ。


が、知っている。



現実は いつも 酷 だ。



出来る時に しておかないと



永遠に 失うことも ある。



チャンスは 作るものだ


その 夢を 取り戻しに行くのが


今回の 2ヶ月 だ。







(働かない2ヶ月に 恐怖を感じながら、今まで働いてきて 蓄えた いつかの為のお金を 逃げるためではなく 昔の夢を叶えるため、友達と過ごすため、人を救うために使う)


殴られたから 家から逃げるために 


アパートを借りて 住みたくない土地に契約で縛られお金を無駄に払うことを 無駄だと 思っている。


なぜなら、がんが再発したら、


全てが 無駄になるからだ。



それに、この土地に 長居しなく無いので 拠点をここに構える意味が 全くないのだ。



私は この 子供を育てるためだけに存在する 土地から 確実に出る。


自分の生活を なぜ 子供が出来たからと


全部を 決められないといけないのか。




子が成人したら

離婚したら 



自分で自由に決められるのだ




学生が終わり 親の監視も無くなり、

社会人になって 自分で自分の為に働き


自分の夢を叶えるために進む


そういう機会を 初めて得るのだ。


私には それが なかった。


社会人一年目の~とか 

社会に出てから~の

仕事や 人に揉まれることだけは

人より 多く経験する機会自ら突進しながら、今となっては ママ友40~50代の中で 平然とランチトークをするのだから、


子育てのママ友というのはまた別世界で、話すことは 子供、学校、先生、職場、家庭、とある意味、独身ではついていけない話をするので、


夢を失って得た 子達の命から

大切な友人たちとの関係を得た。


子から 得たのだ。



無知な若いうちに妊娠するのは


割と 相手も 悪 だと思う。


まぁ、なんとも…私は20歳だったので、


ただのアホ で



ただのアホで済まない 子達に18~20年を捧げる、という、



自分のしたいことを一通り終えた人の進むべきステップに 飛び級したら


しんどかった。



自己犠牲の上に 何を成り立たせないといけないのか…




全く 意味を感じない。



周りの大人の監視が着いていた事は 

不幸中の不幸

だった。



ガンという免罪符。


この子、ガンだから仕方ない。


を手に入れた。


私は キャンサーギフトというのかはおかしな言い回しだな。表現が違うんだが。 




若いんだから してくれるよね?(無知だから教えてあげている)


みたいな ものが 打ち砕かれた事に


感謝をする。





来月会う友人は 学友だから


本当に娘が赤ちゃんの時に 娘を見せるべく 会ったのが最後だろう。


記憶が定かでない。


18年振りに


まさか 学友は赤ちゃんを産んだばかりだ!


とても 希望の持てる事柄に




嬉しくて 思わず 逢いに行く!


これは 本当にハッピー♡という感覚だ。


とても 久しぶりに


もしかすると、18年振りに 自分自身が


心底 嬉しい と感じている。



親友たちの子ども て 嬉しいものだし、


なんとも 不思議な 何か が 



重なったので 




義務教育からの 解放と


私にとっての ラッキーパーソン🍀


と、 再会する事は 


本気で この日のために生き延びて

感謝が込み上げてくる気持ちだ。


(やっと クレカの保険関連の調べたり変更したりから、変更済になり 最低限の安心を得たので言える 今である)





パート仲間が とても 元気で


ライブなどに 連日行くのだ。



とても 楽しそうで


嬉しそうだから、 


私もとても楽しくなり、


嬉しくなる爆笑


19で最初の子を産んだパート仲間は


50代に 自分の人生を満喫している。


一番下の子と、うちの下の子が同級生なので、ガッツリママ友だ 笑


そうやって 好きな事にお金と時間を使おう!


こんなに楽しそうに生きている人、良いな。


と 生きていくことに

こういう 生き方があるんだ!と初めて知るような感覚に至る。


完治するまでに



不安で仕方なかった。



再発が不安なのか




不安定な家庭環境で


生きていくことの方が不安だった。





子達は それをずっと 感じながら


小学生から 高校生まで 


私と一緒に


生きてきたのだ



複雑すぎる。




私も吹っ切れて



子達も 吹っ切れた



言っておくが


離婚はするよ口笛



次のブログに書くが


昨日 同じく 短大時代からの親友から電話があり、長長話をした


(私は 今 そんなに時間に余裕が無いので、準備と勉強をしなければならない)






話が飛んだ


飛んだ



飛行機に関して



乗り物に関して



チケット、乗り換え、変更、


飛行機ほど 


遅延と キャンセル 変更の多い乗り物



という事を…知らなかったかのように





タイトなチケットを取ってしまったことに  驚きが…



よし、今回はどうすることも出来ないから  石橋を叩き割る


そして 自分で作り直す。






次回は安い時期に 直通にしようかな。



でもさ、乗り換えを楽しみにしていたのだよ 笑



海外を舐めているから、


泣きを見ないように…




クレカアップグレードしたことは 本当に良かったニコニコ飛び出すハート



よし、残りの勤務



頑張ろう!




なるほどな~



やっぱり



歳をとった という事は



お金で解決をしたくなるものだな。




(お金が有れば 時間や手間や 確実 でない事に無駄な時間を使うことをしなくて良い)




ただ、


私は 


先の2ヶ月 長期休暇である。


時間だけがあり、


働かないゆえ



お金も入ってこない。


1ヶ月 ズレて 給料が入るとしても、



その途中から 休暇を取っているので


今働いている


数万円分しか 振り込まれないのだ…。