前回の記事で宗教に触れましたが、イスラエルにはもうひとつ切り離せない問題があります。
パレスチナ問題。
初めて触れたのは世界史の授業でした。
歴史として勉強してしまうと、過去の出来事のことのように思ってしまうけど、
この問題は現在も続いています。
この問題って本当に複雑で、わたしにはとてもじゃないけどすんなり理解できるような話じゃない。
でもイスラエルに来たからには、きちんと考えなければいけない問題なんだろうな。
もともと、今のイスラエルがあるパレスチナ地方には、ユダヤ人が住んでいました。
ところが古代ローマ軍の侵略によって、この場所にいられなくなったユダヤ人。
世界各地に移り住むようになります。
バラバラになったユダヤ人は、世界各地で迫害され苦しい生活を送っていました。
この流れを受けて、もう一度パレスチナの地に戻ろうという動きがでてくるようになるのです。
ところが、オスマン帝国時代よりパレスチナに住んでいたのは、アラブ人(パレスチナ人)。
そこで第一次世界大戦前までは、ユダヤ人とパレスチナ人は共存するようになっていました。
この第一次世界大戦時、ドイツと全面的に戦っていたイギリスは不利な状況に追い込まれます。
そこでイギリスは、パレスチナ人に
「戦争に協力すればこの土地にパレスチナの国を作る」と約束します。
さらにイギリスは、ユダヤ人にも
「戦争に協力すればこの土地にユダヤ人の国家をつくる」と約束したのです。
「この土地」というのは、パレスチナ。
そう、なんという無責任な約束なんでしょう。
同じ土地に、二つの国家を作らせるなんて。
このことが発端となって、1948年にイスラエルが独立宣言をしたことをきっかけに、4回の中東戦争が勃発するのです。
そして現在では、イスラエルはユダヤ人の国。
例外的に、イスラエルの一部にパレスチナ自治区というパレスチナ人が自治する地域を認めたのです。
そのパレスチナ自治区のひとつ、ベツレヘムに行ってきました。
イエスの生誕の地として知られるベツレヘム。
生誕教会をはじめ、キリスト教徒にとっての聖地がいくつかある。
でも、ここで見たかったのは分離壁。
ベツレヘムの街は、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁があります。
そしてその壁には、世界の平和を願った訪問者たちの絵が描かれています。
こんな壁がずっと続く。
イスラエル側は、この壁はパレスチナ人の自爆テロを防ぎ、ユダヤ人を守るためだと主張しています。
でも実際は、パレスチナの街と街を分離壁で隔てることによって、パレスチナ人同士の交流を遮断し、
彼らの生活や文化・教育など、ずべてのものをめちゃくちゃにすることが目的らしいのです。
パレスチナ人女性闘士として名をはせた、ライラ・ハリドの壁画。
日本語のメッセージも。
パレスチナ独立のメッセージが込められた、フランス革命をオマージュした絵。
中でも、イギリス人画家のバンクシーの絵が有名なんだそう。
タクシーの運転手が、"バンクシー”と連呼して回ってくれましたので初めて知りました。
こちらが、彼の作品。
それぞれの絵をよく見ていると、彼のメッセージが伝わってくる。
日本という国は、みんな同じ人種で同じ言語を話す。
そんな環境に生まれ育ってきたわたしには、それが当たり前だった。
ところが海外を旅していると、いろんな人種が行き交い、いろんな言語が飛び交っている国を目撃することも多かった。
その中から生まれてくる軋轢。
平和ってなんだろう。
戦争ってなんだろう。
そんなことをひたすら自分に問いかける。
でもなかなか答えは見つからなくて、考えることをやめてしまう。
パレスチナ自治区に入る際には、チェックポイントというところを通る必要があります。
わたしたち外国人はパスポートをちらりと見せれば、簡単に行き来が自由です。
でも、パレスチナ人は一部を除いてここの出入りを許されていない。
こうやって閉じ込められているパレスチナ人の現状。
どう受け止めたらいいんだろう。
ただ、街並みはとってもきれいで。
これがパレスチナ自治区のひとつ、ベツレヘムなんです。
いつも読んでくれてありがとうございます。
世界一周ランキング に参加中。一日一回押してもらえると、ランキングがあがっていきます。












