先日、精神障害者らしき人が、新宿のデパートで、傷害事件起こしましたな。
その日の午後、たまたまテレビつけたら、
ちょうどワイドショーやってて、
そこに出てた中年女性ゲストが、
「今は、精神疾患を持った方が、知らない間に身近にいることがありますから、
気をつけなければなりませんね」
などと言っていた。
何でそういうこと言うのかなぁ。
「傷害事件が起こった。で、その犯人はたまたま、精神障害者らしかった」
だけのことでしょ?
なのに、あの言い方はまるで、
「キチガイとは、本来危険なものである。だから避けねばならない」
ですよ。
何だかなぁ。
あのね、
もしそういう風に思ってる人がいたら、
その考え方が、非科学的であることに、気づいて欲しいですよ。
精神疾患持ってる奴のうち、そういった犯罪おかす人は、ごく僅か。
「頭がおかしい奴は、凶悪」
というのって、偏見でしかないですよ。
そういう見方って、いともたやすく、
「狂人は精神病院にぶちこんで、一生出られないようにしておけ」
という差別に、発展する可能性がある。
そもそもあの女性ゲスト、
自分こそは正真正銘、
今までも現在も、この先も、
絶対に「正気」であり続けられると、信じてるんでしょうか。。。
(信じてるんだろうなぁ。ああいう発言するっつーことは)
もしそうだとしたら、無知なうえに、自己洞察がなさすぎる。
オレはね、心理学とか好きで、素人ながら色々勉強しました。
その知識および、人生で出会った色々な人や事件思い出し、感じるんですが、
「正気」と「狂気」の境界って、物凄く曖昧ですよ?
「まともな人」が、「日常」から「非日常」へとスリップして、
そしてそれが、長期にわたってその人の人生を支配するような状況が、
いとも簡単に起こりうる、ということを、想像できないかな。
仏教思想にもある、
「それまで『まとも』な人が、ほんの僅かの縁(えにし)で、まるで狂人然とした行動に走ってしまう可能性がある」、
というのは、実際のところだと思いますが。
何か事件が起きると、
何がなんでもその「理由(それもひどく限定された)」を探し、決めつける、
というのが、当然のように実行されてるけど、
あれは結局、どこまでいっても「勝手な推測。便宜的」の域を出ず、
本当の現実というものは、そんなに簡単じゃないはずです。
京極夏彦さんが、ずっと作品中で書かれているように、
「誰かが何かに走る理由」っつーのは、最終的には、本人にさえ良くわからないものなんじゃないでしょうか。
なぜに、古くからの言葉、
「魔が差す」というのが、世に存在するのか、
その理由を考えてみてほしいです。
想像力を欠いた人間が、
良識人ぶって差別論を語る、
ワイドショーの方が、
事件にも増して、
オレにはとても、恐ろしい。

京極 夏彦
魍魎の匣―文庫版
その日の午後、たまたまテレビつけたら、
ちょうどワイドショーやってて、
そこに出てた中年女性ゲストが、
「今は、精神疾患を持った方が、知らない間に身近にいることがありますから、
気をつけなければなりませんね」
などと言っていた。
何でそういうこと言うのかなぁ。
「傷害事件が起こった。で、その犯人はたまたま、精神障害者らしかった」
だけのことでしょ?
なのに、あの言い方はまるで、
「キチガイとは、本来危険なものである。だから避けねばならない」
ですよ。
何だかなぁ。
あのね、
もしそういう風に思ってる人がいたら、
その考え方が、非科学的であることに、気づいて欲しいですよ。
精神疾患持ってる奴のうち、そういった犯罪おかす人は、ごく僅か。
「頭がおかしい奴は、凶悪」
というのって、偏見でしかないですよ。
そういう見方って、いともたやすく、
「狂人は精神病院にぶちこんで、一生出られないようにしておけ」
という差別に、発展する可能性がある。
そもそもあの女性ゲスト、
自分こそは正真正銘、
今までも現在も、この先も、
絶対に「正気」であり続けられると、信じてるんでしょうか。。。
(信じてるんだろうなぁ。ああいう発言するっつーことは)
もしそうだとしたら、無知なうえに、自己洞察がなさすぎる。
オレはね、心理学とか好きで、素人ながら色々勉強しました。
その知識および、人生で出会った色々な人や事件思い出し、感じるんですが、
「正気」と「狂気」の境界って、物凄く曖昧ですよ?
「まともな人」が、「日常」から「非日常」へとスリップして、
そしてそれが、長期にわたってその人の人生を支配するような状況が、
いとも簡単に起こりうる、ということを、想像できないかな。
仏教思想にもある、
「それまで『まとも』な人が、ほんの僅かの縁(えにし)で、まるで狂人然とした行動に走ってしまう可能性がある」、
というのは、実際のところだと思いますが。
何か事件が起きると、
何がなんでもその「理由(それもひどく限定された)」を探し、決めつける、
というのが、当然のように実行されてるけど、
あれは結局、どこまでいっても「勝手な推測。便宜的」の域を出ず、
本当の現実というものは、そんなに簡単じゃないはずです。
京極夏彦さんが、ずっと作品中で書かれているように、
「誰かが何かに走る理由」っつーのは、最終的には、本人にさえ良くわからないものなんじゃないでしょうか。
なぜに、古くからの言葉、
「魔が差す」というのが、世に存在するのか、
その理由を考えてみてほしいです。
想像力を欠いた人間が、
良識人ぶって差別論を語る、
ワイドショーの方が、
事件にも増して、
オレにはとても、恐ろしい。

京極 夏彦
魍魎の匣―文庫版