エピソード25 「パリ・ボヘミアンのジャズ狂い-3」
エピソード25 「パリ・ボヘミアンのジャズ狂い-3」
結婚してすぐに、サンミッシェルの狭いアパートからラマルクのわりとデラックスなアパートに引越しした、われわれの結婚生活は、一年目はミツの甘さ、2年目以降はケンカばかりという状態であった。
最大の原因は、ボクのジャズ狂いである。なにしろ、ジャズ・コンサートのオーガニゼーションに夢中になっていたから、唯一の収入源である絵を描く時間がない、たまに描いても、ジャズ関係につぎ込むから家計は足りない。おまけに、ジャズミュージシャンの居候がゴロゴロいて煩わしいし、二人だけの親密なコミュニケーションがもてない等々、というないない尽くしだった。
ボクは情熱の赴くままに、ジャズに入れあげていただけだから、結構楽しかったが、フトコロは火の車だった。
契約画廊は、契約不履行のボクに、何とか絵を描かせようと、夜中の2時、3時に寝込みを襲ってドアをたたく。「ヤマグァータ!ヤマグァータ!」画廊のオヤジの声だ。それが聞こえると、「そら!来た!」ボクはサチ子さんのクローゼットに隠れる。彼女は目が覚めても、ベッドを離れないので、居候のミュージシャンが、泊まり賃代わりに「留守だ」と断り役に出る。しかし、フランス人って言うのは、ひどく疑り深い人種で、契約をタテにあがりこみ、トイレまで家探しをしていく。しかし、さすがに、レディーのクローゼットまでは開けないから、いつもセーフだった。
だけど緊急に、ジャズ関係で大金が必要になったとき、他に収入の道がないのだから、背に腹は代えられず、ボクは例の契約画廊に景気のいい電話をいれ「明日までに、10枚は描けているよ。金を用意してくれ。」
翌日、約束どおり、画廊のオヤジは札束を持って訪ねてきた。しかし、ボクときたら、アトリエで、やっと徹夜で仕上げた3枚目に手をつけたばかりで。オヤジはカンカンに怒り狂って、ありとあらゆる罵倒と悪態の罵詈雑言を並べ立てたらしいが、さいわい、こちらは、それほどフランス語は堪能ではないので、まったく効果はなかった。ただ、カネがほしくて、絵を描きながら、やたらニコニコしているだけだから、オヤジも拍子抜けして、10枚分の画料をポンと置き、まだ濡れている2枚の油絵を持って帰っていった。
今、考えると、せっかくボクの絵を買ってくれた、好人物の画廊のオヤジにはチャランポランなことばかりして、気の毒だった。あのころ、ジャズの為に必要に追われて描いた絵は、とても見られない。できたら、全部廃棄したいな。本当に画廊のオヤジさんにも、作品を高い値段で買っていただいた、フランス、ドイツ、イタリア、それに少数の日本の方たちにも深くお詫びしたい。できたば、買い戻したい。そういう心境。
1983年「野外音楽会」