エピソード15 「失恋がボクを画家にした-1」 | LACC(Life&Art Consierge) Blog

エピソード15 「失恋がボクを画家にした-1」

エピソード15 「失恋がボクを画家にした-1

ここからはヒロヤマガタの目線で書いていきます。

ボク・・・ヒロヤマガタ


きっかけは、彼女のリュックのカギがボクのシャツに引っかかったことから始まった。

「ごめんなさい」とわびる、かわいい感じの女の子に、ボクは声をかけていた。

「どこへ行っていてんですか?」

「那須です。」

「どちらにお住まい?」

「下高井戸です。」

「ボク仙川なんです。」

 ボクは京王線の満員電車に感謝した。ハイキング帰りの女の子のリュックのツメが、ボクのシャツをキャッチしてくれたお蔭で、お互いの乗換駅の明大前の喫茶店で会話するチャンスに恵まれたのだから・・・。

 1972年(昭和47年)、ボクが23歳の春、広告会社でアルバイトをしていた時のことだった。その後、彼女は和子という銀行のOLで、ボクより一つ年上の24歳、一人でヒッチハイクや小旅行を頻繁にする、ある種の放浪めいたクセの持ち主という事も分かった。

 週末にデートに誘うと、よく旅行するからといって断られたが、ボクは彼女を気にいたので、こまめに電話をかけて、パーティーや何かによく連れて行っていた。

 そのうち、ある日突然、彼女は銀行を辞めて、前から憧れていたイタリアのミラノへ行くと出だしたのであった。

 

ボクは彼女とは肉体関係こそなかったが、彼女もだんだんとボクのことを好きになってきている気がしたいたし、ボク自身彼女と分かれたくなかったので、懸命に思いとどまるように説得したが、聞いてくれるような女の子ではなかった。ネコという動物を、ボクも長く何匹も飼っていて、よく知っているけど、ちょうどあの猫そっくりの、自己中心主義、勝手気ままな女性だった。だからこそ、ボクは好きになったのかもしれないけど・・・。

 とうとう彼女は決然といった感じで、ボクの懇願もふりきってミラノへ発ってしまった。

 ところが、その後、ミラノの彼女から頻繁に手紙が届くのである。もちろん綿々の思いを絞ったラブレター。男としてワルイ気はするはずがなく。おまけに国際電話もジャンジャンかかってきて、彼女は愛しててるとか、あなたなしではいられないとか、切々の思いのたけを訴えてくるのである。

 今なら、異国のホームシックの一時的な症状で、たまたま日本にいた時、少し付き合いのあった、アタマの単純なボーイフレンドに、自己中心の寂しさをブチまけていたんだとわかるけど、24歳のボクは、和子さんこそ、この地球上でただ一人だけの恋人と思い込んでいたのだった。

 

 そのうち決定的な手紙が来た。熱烈なラブレターで、あなたが突然彗星のように、ミラノの街に現れて、私を日本に抱いて連れて帰ってくれる日を夢見ているというのである。ボクはもう有頂天になって友達に相談したが、いずれも同じ年頃のガキのことで、女心のウラを読めるはずもなく、いいじゃないか抱いて連れて帰って来い、大歓迎のパーティーをやろうぜとけしかけられ、ボクも、よし、じゃあ連れて帰ってくるかと、すぐその気になったわけ。

 さぁ出かけようと意気込んだものの、手元にお金がない。ようやくいくらかのお金を用意してミラノ行きの安いチケットを手に入れた。当時の一番安くて早いルートは、羽田からロシア経由モスクワ、パリと14時間かけて飛び、あとは3週間有効のユーレル・パスを利用して、パリからミラノ行きの国際列車の夜行に乗れば、ホテル代も倹約できると考えた。

自分の往復のチケットと、彼女の帰りのチケットと、1週間の予定だったので、着替えの入ったスーツケースだけでミラノへ旅立った。



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2へつづく