週末、ひとつ年齢を重ねました。
そして、気づけば“大台”に突入。


ずっと冗談交じりに「更年期が〜」「アラフィフだしね〜」なんて言ってたけど、
その“言葉の重み”が、いまや自分の現実になりました。
でもね、不思議とショックとかはなくて。
ただ静かに、「ああ、ここまで来たんだなぁ」って。
そんな穏やかな気持ちで、今年の誕生日を迎えました

 

 

誕生日は、誰にでも平等にある“特別な日”

ちなみに、わたしの誕生日はあの大谷翔平選手のお嬢さんと同じ日。
ちょっとしたことだけど、それだけでほんの少し嬉しくなったりします。

母はよく言います。
「誕生日は、みんなに平等に与えられた日なんだよ」って。

確かに、父の日や母の日を迎えられない人もいるけれど、
誕生日だけは、誰にでも必ずある日。

そう思うと、この日をお祝いしてもらえるのは“当然”なのかもしれません。
ちょっと図々しい言い方かもしれないけれど、私はそう思っています。

SNSに何気なく投稿したら、たくさんの「おめでとう」が届きました。
その一言一言が、心の奥に優しく響いてくるんです。
「生きてきてよかったな」「ちゃんと歳を重ねてるな」って思えた瞬間でした。

 

 

これからの人生と、“少しずつ整える”ということ

年齢を重ねるにつれて、考えることが変わってきます。

最近よく思うのは、「両親も、もうそんなに若くはないんだな」ということ。
今までは“まだまだ元気でいてくれる”って思ってたけど、
現実は少しずつ、確実に進んでいます。

先日、妹と食事をしているときにふと、そんな話になりました。
「そろそろ、ちゃんと準備もしないとね」って。

喪服や数珠。
なかなか買う気になれなかったけれど、
持っている数珠はもう大学時代のもの。だいぶ年季が入っていて。

買い替えようと思っても、「縁起でもないかな?」なんて思ってしまう。
でも、いざというときに慌てないように。
“今できる準備”をしておくことは、自分にとっても家族にとっても優しさになるのかもしれません。

喪服も、プラスサイズの私にはちょっと悩ましいアイテム。
店舗で見つけるのは難しいから、最近は通販サイトで少しずつ探し始めています。

 

 

大台に乗って、ようやく見えてきた“今の自分”

昔は「歳を取るのがイヤ」って思っていたけれど、
今は少し違います。

もちろん、気持ちはまだ30代くらいのつもり。
20代はさすがに無理あるけど(笑)

でも、年齢とともにしか見えない景色がある。
感じられないことがある。
それは確かです。

誕生日って、「これまでありがとう」の日でもあり、
「これからどう生きるか」を考えるきっかけの日でもある。

新しい一年の始まりに、そんなふうに静かに思えることが、
ちょっと大人になった証かもしれません。

 

 

コーヒー片手に、そんなことをぼんやり考えていた朝でした。
今日という日を、いつか振り返ったときに
「悪くなかったな」って思えたら、それでいいのかもしれません。