今習っている手帖術の中で、『感謝ワークをする』というのがあります。

実は私、この『感謝ワーク』が苦手なのです。

頭の中で煮詰まって、吐き出しそうになります。

 

多分、子供の時の学校教育の影響なのかもしれません。

その時に習った「感謝」という考えを通じて私の「感謝」を否定されて、「感謝って中途半端なものじゃない。高尚なものだ」と思い込まされたのです。

それ以来、「感謝のワークをしましょう」となると頭をオレンジのごとく絞って、フラフラになりながら書いていくのが当たり前になってました。

 

一応、「『ない』に目を向けるより『ある』に目を向けましょう」というのはわかるのです。

でも、それが感謝につながるか、わからなかったのです。

 

 

そんな時、こんなブログに出会いました。

 

 

感謝とは、事実確認

 

まだまだ、
まだまだ、

感謝をキラキラさせている
感謝のハードルを上げている

人が多い。

 

それってなんだろうと思ってブログを読んでみました。そして、この人の師匠に当たる人のも読んでみました。

 

多くの人が、
 
「感謝」の設定が重い。
 
  
心から嬉しいと
思えること以外、
感謝してやらない!!
  
 
ってやってるんです。
  
これが、受け取り拒否。
 

だからいつまでたっても
願いが叶わないんだよ!!

 

 

 

 

感謝とは?

事実確認

 
目の前に豊かさは溢れている。

目の前のそれを「豊かさ」だと、「感謝に値する」と、「認識」することが「創造」そのものなのです。

現実創造なんてめちゃくちゃ簡単。
豊かさも富も、1分で創造できます!

 

(中略)

 

さらに展開していくと、いくらでも豊かさも富も創造できます。

 

・ブログが書けるおかげでたくさんの人に伝えることができます。ありがとう。伝えることができるおかげで、たくさんの人と繋がることができます。ありがとう

・音楽が聴けるおかげで、心が潤います。ありがとう。心が潤うおかげで、また素晴らしいクリアな表現ができます。ありがとう。

・お風呂に入れるおかげで、いつでも快適に心地よく在れます。ありがとう。 心地よく在れるおかげで、たくさんのインスピレーションを受け取れます。ありがとう。

 

いくらでも無限に感謝(創造)できる。

 

 

 

ああ、そうなんだなって。

勝手に設定を上げて、学校の先生が言ってたことを鵜呑みにしてたんだなって。

実際に働いている人には失礼だけど、いい大学を出て、教師になるための試験に受かっただけで社会経験のない教師に価値観をおかしくさせられたんだなって。

本当の感謝は身近なところにある。

 

・息しているだけでもOK。

・電気が使えるだけでOK。

・今日も水が飲めてOK。

・仕事があってOK。

 

なーんだ、こういう感じでいいんだって気づいた。

私が勝手に思い込んで、設定を上げて、

 

『感謝』を『高尚なもの』だと思い込ませてきただけ

 

のことなんだなって。

事実を見れば見るほど、当たり前のものなんだなって。

それを勝手に設定を上げてただけ。

 

それに気づいたので、今日から着眼点を買えてみようと思ってます。