お金に関したセミナーに触れると、必ずといっていいほど「お金は好きですか?」と聞かれる。

この質問をされるとモヤモヤする。

お金を好きにならなきゃお金に縁が生まれない。

そういう思い込みがあるからなのかもしれない。

だから、無理やりお金を好きになろうと努力してきた。

 

ところが現実はどうだろうか。

思うように稼げていない。

やりたいことも出来ず、我慢してばかり。

したいことはたくさんあるのに、周りから「我慢しなさい」と強要されているから。

そして、「お金がないんだから仕方ないじゃない」と。

 

こんな目にあって、もしかしたら私はお金が嫌いなのかもしれない。

 

親がお金で苦労したという話は聞かない。大学まで行って学費を払ってもらったし、当時は自宅を出ていたので経済的支援も受けていたからだ。

しかし、社会人になって就職活動もできない私は、出だしから躓いた。

最初に働いたアルバイト先は最低賃金だった記憶がある。景気も悪くて、何度も就職活動をしたが思うようにいかなかった。

気がつくと最低賃金が当然のようになり、生活保護の水準以下で生活をしていた。

ただ、いわゆる『子供部屋おばさん』というスラングが当てはまるような生活だったので、衣食住には困らなかった。

その後、上京してからも最低賃金クラスでの生活は変わらなかった。どんなに頑張っても、最低賃金が上がるだけで、それに便乗する形でしか時給が上がらなかった。

 

(こんなに頑張っても報われないなんて…!)

努力は報われる、とどっかのアイドルが言ってたけど現実としてはかなっていない。

お金がほしいのに、手に入れる方法を知らないままだ。もっと頑張らないと稼げないと思っているだけ。

しかし、頑張れないからいつまで経っても稼げないまま。やりたいことも全然出来ない。

SNS通じて見てしまう、旅先からの写真を見て「なんという生活をしてるんだろう…?」と思ってしまう。思うだけで、自分の感情に蓋をしてしまう。

 

私だって旅行に行きたい、なのに周りから反対される。

ふたことめには「お金がないでしょ、あきらめなさい」と。

 

そう思うことで我慢してきた。自分の気持ちに蓋をして、『貧乏だから仕方がないよね』とごまかしていた。

これが憎しみのようになるのは時間の問題だった。『お金がない私が悪い』と責めていた。そして、『貧乏が悪い』となっていた。

貧乏な自分が大嫌いと。

 

たまたま、このブログを書く時に検索した『お金持ち 画像』と探したら、すごく嫌な気持ちになった。本などで出てくる『お金はエネルギー、循環するものです』などじゃなくて、邪悪な画像しか出てこなかったからだ。気持ち悪くなった。

 

もしかしたら、お金持ちって汚いイメージがあるのだろうか?

 

そんなことを不意に思う。

そして、自分のお金に対するイメージを俯瞰してみる。

やはり、よいイメージが湧いてこなかった。

「どうせ、お金持ちって貧乏人を馬鹿にしてるんでしょ?」

「可哀想って思ってるんでしょ」

そんな言葉が出てきた。思い起こせば、セミナーで申し込みたかったけどお金がないから諦めてばかりいた。

「経済的に無理なので、自分で頑張ります」

「こんなのにお金をかけるくらいなら、自分でやったほうがマシ」

「100万は払えないので、なかったことにしてください」

それで逃げ切っていた。そのたびに、何度脅されたのだろうか。

『自己流は事故るよ』

そんな言葉など言われてきたけど、逃げ切っていた。ご縁がなかったものだと思ってください、と。

 

ほしいものがあっても諦めていた。我慢していた。我慢すれば何とか物欲が消えると思っていた。

それでもほしいと思うから、物欲は一向に消えなかった。修道院のシスターのように、物欲を持たずに生きることは出来なかった。

お金がほしいけど、簡単には手に入らない。頑張って稼ぐしかないと。

それでもダメだから、諦めるしか方法はなかった。

 

諦めるという選択肢を選んだ私は、お金を嫌っていた。同時にうわべでは「お金は好きにならないといけない」と思っていた。

俗に言う『お金のブロック』は相当大きなものだと思っている。お金がなかったことで、やりたいことを全部諦めてきた。物欲を捨てるよう努力してきた。それでも思うようにはいかなかった。

 

伊武雅刀の『子供たちを責めないで』という曲があるが、あのパクリでいうと「私はお金が大嫌いだ」という言葉になる。

多分、それが本音なのかもしれない。

自分が嫌な思いをしたからこそ、嫌な気持ちになってたと。

 

それを好きになるには相当努力しないと出来ないらしい。