ノートに思ったことを書いていました。
体調が悪くても、これを書くようにしていました。
今朝、早めに起きたこともあったので書いてみたら3ページ突破してました(日頃は1ページか2ページ)
ダイエットのこと、お金のことなど書きまくってたら、結構心の中が出てきたなあと。まるで汚い汁が出てきた感じ(それでも深堀りが足りません、と言われるレベルだろうけど)
私は多分、誰かに認められたかった。
いつも孤独で、ひとりぼっちで。
自分がやりたいと思ったことは、みんなに反対されていた。
背中を押してくれる人はたくさんいたのに、何故か少数派の意見を受け取っていた。
その理由として一番大きかったのは、お金のことだった。
「あなたならやれるよ」と言われてたけど、お金がないから諦めていた。
行きたいところがあったけど、交通費や参加料を考えたら我慢していた。
「サッカーの試合を見たい」としても、「追っかけをするからダメだ」と言われ続けたから『行くこと』を放棄した。自宅で応援することで満足しなきゃいけなかった。
もっと掘り下げると、親との関わりだった。
私の家は、人並みの生活は出来ていた。公務員の父親と専業主婦(時々パート)の母親。旅行などは連れて行ってもらえたけど、ものに関しては結構シビアだった。
漫画雑誌は年に2回(夏と冬)、「こんなのを読んだら勉強しなくなる」と言われ続けた。
代わりに買ってくれたのは学研の学習まんが。
これで我慢しなさい、というところだった。
お金は平均より少なめだった。ケチではなく、これ以上あたえるとふさわしくないということだったからだと思う。
お小遣いもあまり多くもらえなかった。
18で進学のために家を出たが、仕送りは他の友人達と比べても少なかった。これだけでやりくりしなさい、と言われた金額では出来なかった。
お金がないなら稼ぐしかなかった。その努力を怠ったから、お金が得られなかった。
就職もそうで、私の価値観より親の価値観で選んでいた。
お金は人並みにもらえたらいい。
働けたらそれでいい。
そんな考えだったから、頑張れなかった。
その思考の癖が、抜け出せた今も強く残っている。
その言葉をひたすら書きなぐっていた。
気がつくと、それらの考え方は『生きてるだけでそれでいい』というキリスト教的な発想だったかもしれない。両親はキリスト教徒ではないが、その考えに近かった。だから、お金は必要最低限しか与えなかった。あとは努力で働いて(ダブルワークなど)お金を得るしかなかった。
結局、努力しないとお金がもらえないという思考になった。
――多分、それが今の考えになってるのかもしれない。