(※noteの転載です)

 

このところ、アンチの人が推しの名前を語ってメールフォームに嫌がらせをしてきます。1番のピークが3月で、ファンサービスのアンケートをしてた頃です。
そのたびに、塩対応で削除ボタンを押してきました。

そんな時、毎朝インスタで配信ライブをしている人がこんな事を言ってました。


「アンチが出てきたらおめでとう。赤飯炊いてね」


思わぬ表現に「あれ?」と思いました。なぜ、アンチが出てきたことはおめでたいのだろう。物騒だから、今すぐ駆逐させたいのに。

そして、西野亮廣さんのテキストにもこんなことが書いてありました。

 

昔から僕のことを知る同期芸人や、昔から僕のことを知るテレビマンが、その理由をVTRで語ってくれたんですけども(※詳しくは番組をご覧ください)、面白かったのは、そのVTRを受けたスタジオのMC陣の感想で、皆さん、「アンチは気持ちの良い存在ではないけれど、アンチがいることは良い状態だ」と言うんですね。
(中略)
卵が先か鶏が先か?みたいなところはあると思うのですが(※たぶん、どっちの可能性もある)、いずれにせよ、『アンタウォッチマン』のMC陣の言ったことが真理で、「アンチは気持ちの良い存在ではないけれど、アンチがいることは良い状態」なんです。

「アンチがいることは良い状態だ」
https://chimney.town/9528/

 

アンチの存在がいるだけで、反応があると解釈しちゃうと「ああ、私もそういう人がいるのね」と思ってしまう。ただ、いるだけでうざったいので、塩対応で駆逐してしまうのです。
よく「アンチは一番のお客様だ」というけど、最近のアンチはしぶとい傾向があるらしい。過去ログを読んだり、付き合いのある他の人にむけて「あの人とかかわらないほうがいいよ」と言ったりしているそうな。

 

やつら、暇なんですよ。暇だから、SNSで攻撃したがる。

そうじゃなければ、あんなに叩く行動には出たがらないのです。
これに関しても、西野さんのテキストにこういうのがありました。

 

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、アンチが雑な批判を繰り返すから、「いやいや、西野って、そんなに酷いことやってなくない?」という肯定派が生まれて(あるいは肯定派の結束が強くなって)、議論が盛り上がって、世の中に広がっていったり。
 
あるいは、世の中に広がった(成功した)から嫉妬を買って、アンチが生まれたり。
 
やっぱり、いずれにせよ「アンチがいる」というのは良い状態なんですね。
 
今日の話の1つ目の結論は、「この事実を受け止められるかどうか?が、分かれ目になってくる」ということ。
 
やっぱり「アンチは作りたくない」をやってしまうと、アンチはできないし、過ごしやすいけど、たくさんの人には見つからない。
 
「外に出たら、風邪をひく」みたいなもんで、風邪をひきたくなかったら、外に出なけりゃ良いだけの話なんだけど、「室内で満足か?」みたいなところはある。

「アンチがいることは良い状態だ」
https://chimney.town/9528/

 

これ、写真などの表現者にもいえちゃうけど、アンチが怖いからテキトーに程々のテキストを書きがちだと思うんです。でもそれって、アンチには出会わないけど他の誰にも見つからないままになっちゃうんです。


それって表現者としては寂しくないですか?


だから、アンチがいても何も怖くないと思えば十分なんです。

それにむけてやるとしたら、突き抜けちゃえばいいんです。


例えば、「特技は妄想だから何も怖くないし、脳内に彼氏がいるし」と思えばいいんです。
だから、アンチがいても怖くないのです。

 

――そもそも、みんなに100%好かれようとするのが無謀なのです。