感謝が足りない。
何かあるたびに、こう指摘される。そのたびに違和感を覚え、モヤモヤする。
そんな時、こんなテキストに出会った。
そこにはこんな文章が書いてあった。
ボランティアをしたり、人に親切にしようとするとき、最初は、相手へのやさしい気持ちがある。目の前で困っていたら、助けてあげたいという、人間の自然な気持ちだ。目の前で誰かが転けたら、反射的に手をさしのべてしまう。それが人間というもので、人間の美しい心だ。
ところが、その相手がお礼を言わなかったり、感謝の気持ちを示さなかったりすると、不快を感じてしまう。
そして、その不快のせいで、「こんな人はひどいめにあえばいい」と思ってしまう。助けようとしたはずの相手に、逆に攻撃的になってしまう。
そして、実際にひどいめにあうと、「自業自得だ」と溜飲を下げる。
美しいことが、なぜか自然な流れで、ホラーになってしまうのだ。
そうだ。この感覚だ。
子供の頃によくいわれた、「ほら、ありがとうは?」というやつに似ているのだ。
だから、ノートや手帳界隈で話題になってる『感謝ワーク』が怖いのだ。
自己肯定感を上げるために、感謝をしなきゃいけないということで
感謝ワークを必死にやってるやつにも。
だから思うのだ。そんなに無理しなくてもいいんじゃない?と。
ムクムクとわいてきたら、感謝をすればいい。
心に感じたら、感謝したらいい。
無理やり絞り出して、感謝するのは間違えている。
そう思っているのだ。
だから、無理やり感謝しなくくてもいいと思っている。