自然療法的 鬼っこブログ -4ページ目

自然療法的 鬼っこブログ

アトピッ子のママだった自然療法家が、
免疫力を爆上げするための
ほんものの情報を発信しています!

 

 

なんだかどうやら、みんなそれぞれが「わたし」だと感じているものは
幻想に過ぎなくて、
実は「わたし」という個別の命というものはなくて、
わたしたち人間を含め動物や生物や森羅万象が、ひとつの命なのだった。

この世はどうやら、そういうことらしい。

ふだん、「わたし」だと思い込んでるものの視点から、
ひとつ次元を上げて捉えてみると、「大きなひとつの命」が
それぞれの「わたし」という個としての体験を生きているにすぎない。


だから、人生でのなかで

どんなことが起ころうと、
「全体として」の流れのなかで起こっている現象、であるので

なにも後悔する必要もないし、失敗でもないし、

成功ってものでもないし、栄誉なんてものは幻想だし


ただ起こることが起こっているだけに過ぎない。


だから、「わたし」だと思い込んでる自我が、
「あのときなんであんなことをしてしまったのだろう」
「わたしが至らなかったから、周りに迷惑をかけてしまった」
なんて考える必要もない。

そういうことがわかりかけてきて、
なんだかとっても楽になった。


わかりかけてきて、なあんだ、そうだったのか、って
ちょっとあっけに取られるというか、
え、なんで今まで大きな荷物を背負ってたの?気負わなくていいんだ、って
気持ちが軽くなるのと、ただ、ただ静かな気持ちになった。





こんなふうに、全体としての流れのなかで
1本1本の釘のように、「個」だと思い込んでいる自我が、

 

やれ隣の奴がぶつかってきただの

この世界はどうしようもない出来事ばっかりだの、

あ、ちょっと素敵な人との出会いがあったわ💛だの、

成功を手に入れた、などと

痛みや怒りを感じたり喜びや悲しみを感じたりと
 

日常の中で、ただ、反応しているに過ぎない。

 

何が起こっていても、

全体として、ちゃんとまとまって、うまくいってるってことだ。

 

「わたし」なんていうものは幻想で、どこにもなかったし、

実は、自由意志なんてものもなかったのだから、


なんだか、すごくがんばって達成しようとしてきたことや、
努力して変えようとしてきたことも、

あんなこともこんなこともすべて、

どうやら、すべてお見通しの、流れの中で決まってたことだ。



だから、この世界に支配者のようなものがいようがいまいが、
世の中のだれがワクチンを打とうが打つまいが
そんなことは、ただ、その流れであるということ。

だから、心配もジャッジも必要ないし、
かといって
心配やジャッジが起こったとしても、それはそれで
全体としての流れの中で、自然と湧いてきたこととして、

赦して、そのまま観察していればいい。


そしてそこから、
どのみち、向かう方向は、

ただ、「身体」や「心」というシステムのような現象が
今ここから、その地点から、

 

無理のない流れを辿ることができるように
その動きや流れを妨げないこと。


そのような、「流れを妨げない」食べ物とか、呼吸とか、
見るもの、聞こえるものや、
肌感覚のあうもの、思考を取り入れていけるように。

抵抗することなく、ただ、流れに任せること。

あたりまえに、あたりまえのこととして
今ここに、在ればいいというだけだった。