“いぶすき”2071号機の生涯 1 <YSの履歴16‐3> | 青木勝のヒコーキ日和

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2071号機の初飛行は、1968年(昭和43)6月29日。
同年7月1日に、日本国内航空(JDA)に引き渡された。
ここで、「いぶすき」と命名された。
「いぶすき」初号の誕生である。

ちなみに、この年の8月に末に、2070号機が、
4万5千キロの東南アジア、中近東、ヨーロッパのデモフライトに、
飛び立っている。

ぼく自身は、このころスポーツニッポン新聞社をやめて、
フリーのカメラマンになって、大阪万博の仕事などをしていた。

ときどき、誤解する人がいるのだが、
まだ、YSにも飛行機にも無縁の生活を送っていて、
もちろん、このデモフライトに同乗、同行などしていない。
さまざまな資料と、関係者のご協力を得てそのお話などから、
YS-11の履歴を書いているのだ。

2071号機は、その後、何事もなく日本のローカル線を飛んで、
日本の地方空港を支え続け、
1971年(昭和46)年5月15日、日本国内航空は、
東亜航空と合併して、東亜国内航空(TDA)となった。

この前年から、ぼくは日本航空の専属カメラマンとして、
あらたに導入されて、その大きさから社会現象ともなった
B-747、ジャンボ機の撮影に追われていた。
いま、エアバスの総二階建て機体、A-380が話題を呼んでいることと、

当時が重なり合って、時代は螺旋を描いて延びていくことを、
実感している。

東亜国内航空誕生の一カ月後、
6月15日に、2071号機は、A-600型に改造された。
A-600型は、2071号機の元の型A-300型の搭載量を、
500キログラム増加させたものである。

A-200型、A-300型開発時に行なった補強を、
仔細に健闘した結果、さらに500キログラム増加に必要な
強度の余裕のあることが判明したため、
実施に踏み切ったものである。

写真は、1986年5月対馬で撮影した2024号機。
お察しの通り、2071号機を撮影する機会がなく、
ぼくの手元に、2071号機の写真はない。