
ダラス空港の航空機修理会社に保管されたが、
のちに、マイアミのシャーロット社で保管されることになった。
北米デモフライトは成功した。
マイアミ空港でYS-11のデモフライトを見学、体験飛行したパイロットたちから、
その性能のよさが、ブラジルのクルゼイロ航空や
アルゼンチンやペルーの航空会社に伝わった。
なかでも、ペルーのランサ航空会社は、YS-11が非常に気に入り、
デモフライトを行った年の12月18日には、J.チェッカ社長が来日して、
リース・バーチェス方式による3機の仮契約が成立した。
もちろん、アメリカのピードモント航空との話し合いも着々と進み、
前回に述べたように、翌年の10月には、10機の契約が成立する。
各国からの引き合いが多いので、
日航製は、翌年1月下旬から約45日間の予定で、
南米6カ国のデモフライトを決めた。
今度も、2026号機がその任務に当たることになった。
ランサ航空側がすぐにでも機体が欲しいというので、
デモフライト終了後、2026号機をランサ航空に引き渡すことも決まった。
日本国内航空の塗装だった機体は、
北米デモフライトのときは、「JAPAN DOMESTIC AIR」の文字を記入、
今度は、日航製のマークと文字を記入して、
ランサ航空の色調を主体としたものに塗り替えられた。
YS-11取材に関しては、
YS-11を所有していた各航空会社広報室はじめ、
パイロット、整備の方々、
元日航製の方々、
当時YS-11の海外デモフライトにも同行取材した航空新聞社、日本航空新聞社、
日航製が解散したのちプロダクトサポートを引き受けた三菱重工業などの、
全面的な協力を得ているが、
残念ながらこのときの写真はどこにも残っていなかった。
やむなく、その後の写真をアップしている。
今回は、1991年2月に松山で撮影した2026号機。
次回は、アンデス山脈を越えたデモフライトの模様をお伝えする。