

悟り系starseedのNagiです
潜在意識を覚醒させる事をずっとやってきたので、
(なぜならそれがダイレクトに幸せに直結するから)
潜在意識覚醒セラピストやってます
ナルシシズムの教室
年内スケージュール
8/23、9/27
10/25、11/22、12/27
8月ですね~!早い!!
残り半年間、しっかりやっていきましょう
暴露療法について書いている最中ですが、いったん中断して、
幼い頃から最大の疑問であった、
「なぜ、戦争は無くならないのか?」について書いてみようと思います
自分について考える事は戦争にも行きつくのです
なぜなら、この世界は自分と、自分を通してみた他人しか存在しないからです
全ては、自分を通した世界でしかないのですね
なので、自分の心の中を平和にする事
それはつまり、意識と無意識の乖離を極力なく無くしていく努力をする事が、
戦争の無い平和な世界の現実化へとなっていくのです
いつもいつも言っている事ですが、
この世界は、私達1人1人の意識によって創られているからなのです
スターシードとは、意識と無意識の乖離が無い状態で生きている人という意味でもあります
だからこそ、この地球で存在して生きているだけで、地球の平和に貢献しているという事なのですね
スターシードの他にも、赤ちゃんやまだ幼い子供、
動物や植物、海、川、陸などの全ての自然なども、
意識と無意識の乖離が無く、一元性の自分軸で生きている・存在しています
そういう存在だからこそ、
ただあるがままにいるだけで、ただそれだけで、
この地球の平和(な波動)として貢献しているのです
ここが分からないと、
人の価値を生産性があるか無いか、
稼げる稼げない、若い若くないなどの、
そんな風な、外側の条件でしか測れなくなってしまいます
この世界が私達の意識から創られているのだとしたら、
戦争を起こす意識とはなんなのでしょうか?
たまたま買った加藤先生の本に、偶然にも、その答えが書かれていました
神経症者の過度の被害者意識は攻撃性の変装した意識である。
だからこそ全ての人が平和を望みながら、人類の歴史は戦争の歴史である。
全ての人が反対する戦争を、人類が繰り返すのは、無意識の領域に攻撃性があるからである。
私達人間が無意識の中に持っている「被害者意識」こそが集合意識となっていき、
被害者意識が煮詰まったものが戦争が現実化してしまう原因だ、という事には、私も同意です
なぜなら、この世界は地球にいる全ての人の意識で現実は創られているからですね
この絶対的な法則から逃れられる人はいないのです
そうでなければ、ほとんどの人が望んでいない戦争が、なぜこれだけ文明が発達した現代でも無くならないのか意味が分からないし
そもそも、何らかの意識が無ければ戦争という現実も現実化できない、
という潜在意識の絶対的な法則も崩れてしまう訳です
何となく、加藤先生の本を読んでいた時に、
「被害者意識というのは攻撃性が変装した姿である」と書いてある一文を読んで、
戦争がなぜこの世から無くならないのか?
これだけの大人たちが「戦争反対!!」とあれだけ言いながらなぜ?
という、幼い頃からずっと持っていた疑問が私の中で、
一縷の迷いもなく、ピッタリと全てのピースが合致して理解できてしまったのでした
被害者意識というのは、実は攻撃性が変装した姿である
これは、加藤先生の本の中でも度々書かれている事です
戦争を起こすのは、
戦争を望む「攻撃的な人がいるからだ」と最初は考えがちですが、
人の無意識について理解していくと、
それは、表面的な部分しか見れていない事なのだと次第に理解していくのです
実際に戦争を起こしたい人たちに加えて、
被害者意識を持っている人たちの意識も、
実は、攻撃性を置き換えただけの攻撃性の意識だという事になるので、
「攻撃的な考えを持った人」と
「攻撃性を変装させた被害者意識の人」
この両者の「攻撃性」の意識が数多くある間は、
この地球から戦争は未だに無くなっていかないという事なんだなと、
深く納得してしまったのです
「平和!!」と叫びながら無意識の中では被害者意識を持っているタイプの人々は、
潜在意識が現実化するという絶対的な法則の観点で見た時、
実は、戦争の現実化の要因となっているというのは、
被害者意識を持っている平和主義者にとっては、何よりも見たくない現実でしょう
そういうタイプの人々の中で、自分の意識が戦争の一因となっている
という事を認められる人は、どれくらいいるのでしょうか?
数年前までは、私もこのタイプの人間でした
平和を祈るくせに、心の中は乖離したまんまだったのです
その事に、この加藤先生の本を読んで気がついた時、
心底、悲しいと思ったし、
そんな浅はかだった自分にがっかりした事をとても良く覚えています
私もそういう経験があったからこそ、
自戒の意味も込めて、このブログでは意識と無意識について掘り下げて書いているし
何よりも、自分の意識を変えていく事で、
本当にこの地球の平和にも貢献できるんだ!
逆に、自分の意識に責任を持てない人は、
平和とは真逆のものに加担してしまっているのかもしれない・・・
と気づく人が増えていけばいいなと思っているのです
気づかなければ、平和な世界は始まらないですからね・・・
本当のことを認識することを避ける。
これが成長を避けることである。そして悩む。
よく、この時期になると、
「我々は、過去の戦争から何を学んだのか?」という様な事が言われるのですが
学ぶというステージにいってないんだよね、と思うのです
だって、本当の原因が自分自身だと気づいてもいないのだから
学ぶなんてムリな話しなんですよね
だから、同じ悲劇の歴史を何回も繰り返してきた訳なのですから・・・
加藤先生が書いている通りだなって思います
全ての人が反対する戦争を、人類が繰り返すのは、無意識の領域に攻撃性があるからである。
気づく事で、初めてアセンション=成長となっていくので、
気づいてもいない人が学ぶなんて、そもそも出来っこないんですよね
それでも、アセンション時代に入ったからには、
段々と気づく人が増えてくるという事なのでしょう
世の中を見ていると、憲法改正が叫ばりたり、
福祉よりも軍事費の拡大に重点を置いているのには、
また同じ様な現実化を繰り返すのではないか?と思ってしまう側面もあります
また、違う側面としては、そうやって国民の攻撃性が煮詰まった所で、
陽に転じていくという事も可能性としてはあります
どっちに転ぶか分からない不安定な時なので、
より一層、意識と無意識の乖離の無い意識で存在し続けていく事が重要なんだと思っています
これが、亡くなった旦那さんを始めとする、
多くのこの地球の人々への私なりの供養の仕方で、
この地球での平和の考え方です
「平和!」という薄っぺらい表面的な言葉なんかではなくて、
本物の波動=意識で貢献したいですね、スターシードですから!
軽々しく、意識とか波動とか、宇宙とか、
スターシードとか書きたくないなって思うのです
軽々しいものにほど、しっかりと地に足をつけて書いていきたいと思うのです
そうした上で、軽々しく生きていきたいですからね
そうじゃ無ければ、ただのアホでしょ?(笑)
この「毒による恍惚状態」を乗り越えるのが、成長である。
だから成長は苦しい。
そんなに生やさしいものではない。
それは薬物の魅力を乗り越えるようなものである。
薬物依存症の治療をするのがいかに大変かということは、薬物専門家以外でも承知しているだろう。
それくらい成長は大変なのである。
そのためには、どんな努力も惜しまない
そう思って、この数年成長欲求を選択し続けてきました
意識と無意識の乖離があって被害者意識を持っている退行欲求の自分から、
成長欲求の自分へとなっていくのには、被害者意識の自分を捨てていくという事でもあったので、本当に苦しく、ひたすら努力の日々でしたが
そんな成長に伴う苦しみにも負けずにやってこれたのは、
あの時の自分に対する深い失望があったからです
しっかりと、失望に底付き体験をしてくるという事は、
成長する上で、すごく大事なんだなと良く理解しました
私が死んでいく時には、「十分よくやった」と、
自分で自分を揉めたたえて、あちらの世界に帰りたいのです
「あ~、色んな経験したな~、面白かった」
それが出来ると確信しているから、死ぬのも悪くないと思えているのです
地球で最もネガティブとされている死の瞬間が、私にとって1番の幸福となる様に、
これからも本当の自分で生きていきたいと思っています
そういう一元性のありのままの意識が、この地球の平和に最も貢献するのだから
心が成長していない人は、自分が「不幸だ」 「惨めだ」と思っていたい
人は不幸にともなう感情にしがみつきがちである。
その感情からなかなか抜け出せない。
人は不快な感情から抜け出ようとしない。
それは不幸にともなう感情にひたっていることが退行欲求を満たすからである。
しかし大人になれば退行欲求はなかなか満たされない。
その満たされない欲求から怒りが生じ、それが敵意となり、攻撃性となる。
人は心理的に成長しない限り、攻撃性は不可避である。
「妬みは人を殺す」 といわれるがその通りである。
攻撃性が受け身で表現されれば、それは嫉妬や妬みとなる。
英語の passive aggressivenessという妬みの表現は適切である。
苦しみは非難を表現する手段である。
苦悩能力のある人だけが、「苦しみは解放と救済に通じる」というアドラーの言葉を理解できるだろう。
攻撃性は巧妙に「弱さ」に変装するとアドラーはいう。
惨め依存症という言葉があるように、攻撃性は惨めさの誇示に変容する。
自分の惨めさを誇示しているときは退行欲求を満たしている。
だからなかなか惨めさの誇示は止められない。
神経症者の過度の被害者意識は攻撃性の変装した意識である。
だからこそ全ての人が平和を望みながら、人類の歴史は戦争の歴史である。
全ての人が反対する戦争を、人類が繰り返すのは、無意識の領域に攻撃性があるからである。
困難を解決するのに安易な道を選ぼうとするのがノイローゼだとベラン・ウルフはいう。
誰だって困難を解決するのに安易な道を選びたい。
残念ながら、困難を解決するのに安易な道を選ぶのが、退行欲求なのである。
フロムの言葉である。
「究めて明瞭なことは、最も重要な要因は矛盾する傾向の有するその強さ、とくにこれらの傾向の無意識の部分の有する強度にある。
悪しきことを選択しないで、良きことを選択するために決定的なことは、意識することである。
望む目標にいずれが望ましいかを意識すること、表面に現れた願望の背後にある無意識の欲望を発見すること、現実的可能性を意識すること、結果を意識すること(註10)」
怒りの感情で子どもに手を出しながら、 「躾のため」という合理化をする。
自分が不安だから離婚しないのに「子どものために離婚しない」という。
夫が働かないから離婚した、夫がアルコール依存症だから離婚した、というが本当は嫌い。
本当のことを認識することを避ける。
これが成長を避けることである。そして悩む。
悩みが脳を捕らえているとは、脳がそのようなホルモンで満たされていること。
脳を調べてみると、悩んでいる人は脳のcingulate cortex (帯状皮質)という部分が活動しすぎている。
これを、「毒による恍惚状態(註1)」という。
この「毒による恍惚状態」を乗り越えるのが、成長である。
だから成長は苦しい。
そんなに生やさしいものではない。
それは薬物の魅力を乗り越えるようなものである。
薬物依存症の治療をするのがいかに大変かということは、薬物専門家以外でも承知しているだろう。
それくらい成長は大変なのである。
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