キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 
 
The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです

 

今まで色んなセッションを

やってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

キラキラというコンセプトでこのブログはお送りしていますキラキラ

 

 

 

 

ベル半年ぶりにベル

キラキラ個人セッションを募集しますキラキラ

本日から23日(日)まで募集を行います

本当の自分って何??

と思う人は是非受けてみて下さい飛び出すハート

 

 

 

15日からずっと、必ず毎日何かしらの行事が入っていて、

マジで疲弊しています・・・

 

それが、なんと23日明後日まで続きます(あと2日や)

しかも、昨日と明日は4時起きです。

4時起きで弁当作りな(苦)

 

 

私の日常のテーマは、「暇」なのです。

ゆったりとした毎日をテーマとして生きているのですが、

なぜこんなにも重なるのでしょうか( ;∀;)

 

うだうだ書きましたが、

上半期の総決算だと分かってもいるので、

アポロチョコ食べながら、どうにか頑張りたいと思います!!

 

 

 

 

常に暇であるには、

執着しない事が最も大事になって来る訳ですが、

まぁ、これが案外難しい訳です。

 

でも昨日は、私の成長が少し感じられました。

そんな話をするよ!

 

 

 

 

昨日は、息子の陸上の大会だったのですが、

今回は旦那さんと応援に行きました。

 

 

前回は、

走る息子を見ていると、どうしてもエゴの気持ちが入ってしまっていました。

 

不安とか、心配とか、勝って欲しいとか、

そういうザワザワした気持ちです。

 

けれど今回は、

だいぶ、さっぱりとした気持ちで見る事が出来たのです。

 

 

 

 

会場に着いた時に、

今回は、もう絶対にうまく行く事が事前に先取りで分かっていたので、

変な感情を入れる事無く、

淡々と結果だけを見に来てる様な気持ちになっていました。

 

 

たまーにですが、もう受け取る未来が先に分かっている事があるのです。

同じ感覚の人もいると思います。

 

 

 

 

 

以前、NACK5の懸賞に応募した事があるのですが、

応募する前から、「絶対に当たる」と確信がなぜかありました。

 

その確信があったから、応募してみたのですが、

後日、やっぱり当選していたのです。

 

 

旦那さんは「凄い凄い」と言っていましたが、

私からすれば、当たると確信出来ていたから応募しただけ、なのでした。

 

そもそも順番が逆。

そんな感覚が昨日もあったのです。

 

 

 

 

という事で、もう、息子が何かしらの結果を出す事は分かっていたので、

すごく冷静な自分がそこにはいました。

 

余計な事をしなければ、結果を受け取れる訳ですから。

 

 

 

でも、エゴの気持ちが自分の心の中にあると、

余計な事をどうしてもしてしまいます。

 

それがエゴだからです(笑)

前回の大会でやっちまったのは、これでした。

 

 

 

 

 

あーじゃねーこーじゃねーと、

自分が出てる訳でも無いのに、

エゴが色々考えてしまい、

その結果、行きたいパラレルから遠ざかってしまうイメージの事が起こるのです。

 

これが典型的なダメな意識の使い方の見本ですね。

 

 

 

 

今回は、

勝ちたいとか、勝たせたいとか、1位が良いとか、

そういうエゴの気持ちが一切無かったのです。

 

 

 

 

4時に起きて、

ねー、炎天下の中で放置されるお弁当ってどしたらいいんだよ?と思いながらも、

眠い中お弁当必死で作ってたら、

 

「母さん、もう朝ですか?」と、

空ちゃんも一緒に勘違いして起きて来ちゃって、

「朝ごはんだ~朝ごはんの時間が来た~」(あなたのご飯は7時)と、

おっ事主様のごとく、ワンワン大騒ぎ@まだ5時で、

マジで勘弁してくれよ!ってなって、

言っても聞いてくれないし、

老犬だから耳も遠いし、耳が遠いってもはや最強やんと思いながら、

騒ぎすぎてる空ちゃん勘弁してよー!!

5:30だけど、もうご飯あげちゃうか?と心折れそうになったけど、

まだ早すぎると我に返り、

 

どうにかかわしながらやっとこさ弁当出来て、

更に、そんなカオスな中で朝ごはんも作って、

息子に食べさせてバタバタと送り出して、

それが終った後で、次は娘の送り出し。

 

7時にはHpゼロ、

という忙しさが返って良かったのかもしれません(>_<)

 

 

 

 

 

確信があっても、勝負事なので、

本当にそうなるか?は未知数ですよね?

だからこそ、エゴの気持ちを一切入れない事が問われるように思いました。

 

 

全てを受け入れて、全てを手放すような、

そんな無心に近い事が出来ているかどうか?

そこなのです。

 

だから、なかなか難しい!!

 

 

 

 

 

NACK5の時は、そこまで理屈が分かっていて出来た訳では無かったです。

感覚任せでした。

前回の息子の大会の時は、全くもって出来ませんでした。

今回は、理屈も分かっていた上で、出来ました。

 

 

いかにエゴを入れないか?

それが本当に出来るかどうかの試験本番だなと思ったのです。

 

 

 

 

 

これが出来る様になったのは、

Kuさんの、「本来無一物」という記事を読んでからです。

 

 

この言葉が私には相当効果が高かったのです。

この言葉は、すんなりと入って来ました。

よほど、私に必要な言葉だったのだと思います(苦笑)

 

 

 

 

 

 

「本来無一物」とは、これらを意味しています。

 

「 なにひとつ最後は自分のものなんかないんだよ 」

「 すべては手放していくんだよ 」

ババジが言いたかったのは、繁栄発展した人生でもいいのだけれど、いつもいつも手放せる自分でありなさい という意味です。

「 この世界をどこまで幻想だと体感しているか? 」

やはり、なにかゴチャゴチャしているときに、また何か、執着だらけで動けなくなっているときに、「 本来無一物 」という言葉で一喝されるととても良い感じになります。

やはり、次のステージに上がって行くためには、いままで抱えていたものは必要ないからです。

やはり、循環の中で、「 手に入れて、手放す 」「手に入れては、そして手放す 」という循環でいいのです。

 

 

 

そもそも、何一つ自分のものではないんだよ。

という意味の言葉ですね。

 

エゴが一番嫌う言葉な訳です(笑)

 

 

 

 

 

息子の事も、息子の成績も、

息子が1位を取って私が感じている喜びや、

逆に、1位を取れなかった残念な気持ちも、

 

全ては、その瞬間最大に感じて、そしてすぐに忘れなさい、

という感覚です。

 

 

矛盾した事を一瞬一瞬やるのだから、めっちゃムズイやん?

 

 

 

 

 

手に入れて、手放す、手に入れて、手放す

その繰り返しが、「本来無一物」という言葉を知って、

だいぶ出来る様になってきたのです。

 

しかも、意識的では無くて、ごく自然と出来る様になってきたのです。

 

 

 

 

 

自分というものが分からない状態で、生きるのに不安すぎると、

何かにしがみつこうとしてしまいます。

 

「本来無一物」から1番遠い生き方になってしまいます。

 

 

 

自分が分からないが故に、自分以外のものにしがみつく訳です。

自分にとってしがみつきやすいものにしがみついてる事が、執着なのです。

 

 

勘違いは、その循環しているモノを自分のモノと勘違いしてしまう。ということです。

だから苦しむのです。

 

息子の事や、ペットの事、旦那さんの事、

お金、名誉、地位、世間体、常識

このブログ、クライアントさん、友達、

私がしがみついていたものは沢山ありました。

 

 

そういうものに執着しない様に、

常に、自分に意識を向ける練習をしているのです。

 

 

 

 

 

その日頃の成果がハッキリと出たな!と思えた、そんな一日でした。

 

とりあえず、上半期は合格って事でいいかなー?

いいともー!!

 

 

本当の自分というものに繋がってくると、

こんな未来の先取りの様な事も出来る様になってくるのです。

それがシンクロニシティだからです。

 

 

「本来無一物」という記事は、

Kuさんの記事の中でも1番好きかもしれません飛び出すハート

 

 

ババジが言うには、「 なにひとつ最後は自分のものなんかないんだよ 」という事を言いたかったようです。

 

今、世間的にも、繁栄とか発展というワードも流行ってますけど、もし発展繁栄を一時的にしたとしても自分自身がこの世から消え去るとき、「 すべては手放していくんだよ 」という意味にもなれます。

 

しかし、だからといって、初めから発展、繁栄したくない。結局手放すのだから繁栄はいらない というのも少しスネてます。笑

 

 

 

 

それも少しちがいます。

 

ババジが言いたかったのは、繁栄発展した人生でもいいのだけれど、いつもいつも手放せる自分でありなさい という意味です。

 

すべては循環なので、力が一方的になりすぎたら逆に要注意、すべては循環の中にあると言いたいのでしょう。

 

もっとババジの言葉を深く言えば、「 この世界をどこまで幻想だと体感しているか? 」という問いかもしれません。

 

 

やはり、なにかゴチャゴチャしているときに、また何か、執着だらけで動けなくなっているときに、「 本来無一物 」という言葉で一喝されるととても良い感じになります。

 

やはり、なにか吹っ切れないものをスパッと壊してもらえるからです。

 

今年は、ちょっと前の夏から秋にかけて、いろいろな大きな解放があった人達にとっても、その目の前で崩れて行く物事に対して、自分がどれだけ執着していたのか?を教えられるような時なのかもしれません。

 

 

 

それが悪いとか良いではなく、次のステージにあがるときは、どうしてもエゴとの対面があるわけです。

 

人間としてエゴで生活していると、どうしてもカタチに拘り、カタチに執着していきます。

 

しかし、どこかで修正して、大きく解放されたり、痛みをともなっても耐え続けなければならない時を迎えて行きます。

 

それはエゴにとっては、世紀末のような事かもしれませんが、全体の魂にとってはとても大切な黄金の時期となっていたりします。

 

 

だからこそ、ババジが言うには、「このような言葉を覚えておくと執着とれやすいよ 」と言いたいらしいのです。笑

 

やはり、次のステージに上がって行くためには、いままで抱えていたものは必要ないからです。

 

それは物だけではありません。愛情もそうです。支え合いという言葉も行き過ぎると依存になっていたりします。

 

 

それも、依存になっているかどうか? 離してみなければ、つまり離される体験してみなければ、わからないのです。

 

エゴはそれを絶対拒否しようとします。 

 

エゴはある意味依存することで自分というアイデンティティを確認するところがあるので、手放したくないのです。

 

だから、ハイヤーは 「 エイッ!! 」 といきなり解放を起こすのです。笑

 

ハイヤーというより、正確には、流れの中で起きるべく起きて行きます。

 

 

 

やはり、循環の中で、「 手に入れて、手放す 」「手に入れては、そして手放す 」という循環でいいのです。

 

「手に入れると執着になるから手に入れたくない・・・」と一方的なると、貧困マインドになります。なぜならそこで流れ止めてしまうからです。

 

それがエゴの仕業です。止めるのは、エゴの恐怖マインドから来ているからです。

 

自分なんかには充分です。もったいないという発想にもなりかねません。

 

 

 

エゴの「 自分の清廉潔白でありたい・・・」というプライドから来ているかもしれません。

 

それも豊かさではないのです。ですから、真の意味での「 本来無一物 」の意味は、すべては循環している事を覚えて起きない という意味かもしれません。

 

循環している中に、ストーリーの主人公として自分も循環のお手伝いを自然としているということです。

 

勘違いは、その循環しているモノを自分のモノと勘違いしてしまう。ということです。

 

 

だから苦しむのです。

 

もちろん、勘違いしても良いと思います。ただ、すぐに手放せば、苦しみは少なくてすむわけです。

 

そのすぐ手放しができるために、過去の偉人たちは、名言を残してくれたのかもしれません。

 

もちろん、釈迦自体そのものが、この言葉を言ったかどうかはわかりません。

 

 

ただ、釈迦という存在そのものから、湧き出た言葉であるとkuは思います。

 

さあ、豊かさを循環させていきましょう。経験しか持って帰れません。

 

執着すくなく・・・そして・・・

 

楽しみながら。笑

 

 

 

 

 

自分が気づいていない自分、その自分に気がつける本

 

 

 

自分が抱えている漠然とした不安感
何をやっても消えない不安の正体が知りたいならこれ

 


 

「暴力性」「攻撃性」を知りたいならこれ

 

 

 

 

きょうもありがとうございましたハート

 

 

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