キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 
 
The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです

 

 

 

 

今まで色んなセッションを

やってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

キラキラというコンセプトでこのブログはお送りしていますキラキラ

 

 

 

 

ベル半年ぶりに、

個人セッションを募集しますベル

6月21日から募集開始します!

本当の自分って何??

と思う人は是非受けてみて下さい飛び出すハート

 

 

 

 

人は天国を求めながら地獄にしがみつく

 

ボールビー博士の愛と脅威の対象についてのもう一つの重大な指摘とは、

「人類やほかの動物の子どもは、その対象から逃避するよりも、その脅威の対象にしがみつく傾向がある」。

 

この重大な指摘によって、家庭内暴力と登校拒否が結びついてくる。 

登校拒否は、学校に行のが怖いという面よりも、家を離れられないという面が強い。ここに注意をするのが大切である。

 

校拒否になる子供は、家を離れられないのである。

なぜ家を離れられないか? 

それは家が脅威に満ちているからである。

 

家が自分の存在を脅かすからである。

家が心理的な牢獄だからである。

家が嫌なところだからである。

家が地獄だからである。

 

母親が嫌いだけれども、母親の愛が欲しい。 

こうした時に母親にしがみつく。 

 

好きな人なら飛びつく。

たとえば「この魚はまずいけれども、健康にいい」とする。

その時にその魚を食べる心理である。

 

好きな食べ物なら飛びつく。

 「しがみつく」という心理は「飛びつく」心理とはまったく違う。

 

家が自分を脅かす場所だから家を離れる、

という発想は心理的に健康な人の発想であり、

心理的に健康な人の行動である。

 

心理的に病むと、そのようには行動できない。

逆になってしまう。

 

まさにボールビー博士が指摘するように、

その脅威の対象にしがみつくのである。

 

もちろん神経症的親のほうは、子供が家を離れないことを、

子供が家を好きだからと解釈する。

そして子供も親を恐れているから、親の期待に沿った「感情」を持つ。

つまり家がいい。

 

彼は実際は家が嫌でも、そう思うことは恐ろしくてできない。

そう思うことは家族を裏切る後ろめたさがある。 

その家への嫌悪感は心の底へと押しやられる、

無意識の領域へ追いやられる。

そして彼は家が嫌いなのだけれども 「好き」と思い込む。

 

 

つまりここでは、すでにその人は自然な自分の感情を持っていない。 

親の期待する感情を持つロボットになっている。 

 

相手の指示する感情を持つようになる。

「怖い!」と感じても「怖い!」と言ってはいけない。

 

自分の感じたことは悪いことなのである。

実は、自立できていないのは親のほうなのである。

 

自立していない親の気持ちを子供は知っている。

その期待に応える。

 

滅私奉公である。

自分を亡くして親に奉公しているのである。

 

おそらく登校拒否になる子供は、優しい子供なのである。 

親の気持ちを知っている。

それを裏切れない。

 

自分が「家が嫌だ」と思ったら、

親が寂しがるのではないかと知っている。

 

「家族団欒はいいこと」という規範意識なのである。

しかしそれは形だけの 「家族団欒」である。 

 

親が満足するための「家族団欒」であって、

子供が自由に自分の言いたいことを言える「家族団欒」ではない。

 

心がふれ合う「家族団欒」ではなく、

親が子供に恩を売るための「家族団欒」である。

 

私自身もこの「家族団欒」の家で育った。 

いつもいつも「家族団欒」であった。

 

しかし私はその「家族団欒」に怯えていた。

いつも親の気に入ることを言わなければならなかったからである。

 

親の気に入ることを言わなければ「家族団欒」が一転して責め地獄に変わった。

 

登校拒否になるような子供にとって、

家は「嫌いになってはいけないところ」なのである。

 

「好きでなければいけないところ」なのである。

 

心理的に健康な人は、

「嫌い」なところは、嫌いであり、

好きなところは好きである。

 

登校拒否になる子供は、学校も嫌だけど、家も嫌なのである。

そして嫌な家に執着している。

 

これは人間の悲劇である。 

心理的に病んでくると、

人は嫌悪の対象、脅威の対象にしがみつい離れない。

 

人は天国を求めながら地獄にしがみつく。

あらゆる犠牲をはらっても地獄にしがみつく。

 

 

人が地獄や不幸にしがみつくエネルギーにはすさまじいものがある。

本当に死に物狂いで地獄や不幸にしがみつく。

 

いくらでも幸せになれるのに、

顔面蒼白になって不幸にしがみついている人のなんと多いことか。

 

私はこの三十年間本を書き続けてきた。

そしていろいろな人の相談も受けた。

 

手紙も無数と言っていいほどもらった。

大学で学生担当教務主任という役職もした。

 

ラジオのテレフォン人生相談も長くしている。

そんななかで、人が不幸にしがみつくすさまじいまでのエネルギーと姿勢に、

つくづく驚いている。

 

不幸でなければ死んだほうがいいとさえ感じられる姿勢である。 

もちろん本人は「幸せになりたい」と口では言う。

 

そしてその願いは嘘ではない。

しかし不幸のほうが安全なのである。

だから不幸から抜け出てこない。

 

「幸せになりたい」という言葉の意味は、

「今の状態から抜け出したい」ということである。

 

もともと彼らは幸せを知らない。

 

配偶者や友人や恋人を始め、

周囲の心理的に健康な人が不幸な人を幸せにしてあげようと誠意のある努力をしながらも、最後に諦めてしまうのはこのためである。 

 

先に心理的に健康な人の心理的弱者への無理解を書きながら、

最後に心理的弱者自身の努力の必要性を説いたのはこのためである。

 

悩んでいる人に対して、

表面上は温かいことを言う偽善者が世の中にはたくさんいる。

 

偽善者と言っては言い過ぎかもしれない。

 「わかっていない人」と言ったほうがいいかもしれない。

 

何をわかっていないかと言うと、

この悩んでいる人の「地獄や不幸にしがみつくエネルギーのすさまじさ」である。

 

深刻に悩んでいる人を救うなどということは、

ちょっとやそっとのことでできるものではない。

 

それを一生の仕事としている専門のカウンセラーでさえ、

時には悲鳴を上げる。

 

反対感情併存というのは、

人の幸せを考える時に極めて重要な心理的問題なのである。

 

無関心の人に対してなら寛大にもなれる。 

好きでもない人なら、その人が何をしようとあまり腹も立たない。

 

素直に好きな人となら一緒にいて楽しくて仕方ない。

憎しみだけの人なら攻撃していればすっきりする。

 

 

 

 

毒親育ちで、不幸満載の家で育った人が、幸せになっていく時には、

確実に、自分が握りしめている不幸を手放していかなくてはいけないので、

そこが1番難しくて辛い作業だと私は自分が経験してみて思いましたね。

 

 

人は天国を求めながら地獄にしがみつく。

あらゆる犠牲をはらっても地獄にしがみつく。

 

 

加藤先生が書いている通り、口では「幸せになりたい」

そう言っていても、実際に、今までやってきた努力の結晶とも言うべき、

不幸の中を耐えぬいて来た自分は大事なのです。

 

 

例え、不幸を握りしめているとしても、

その自分で長いこと生きてきたので、

そんな自分に愛着が湧いているのです。

 

 

そういう人は、すぐに分かります。

自分の限界ラインを越えそうになると、急に怒るのです。

 

ここを越えれば、もう幸せの世界の方に行くのに、

「これ以上、頑として変わらないぞ」という強い意志を出してくるのです。

 

だからそれが、その人の限界ラインなのだろうと私は解釈する様にしています。

 

 

 

 

 

 

この本を始めて読んだ時、

私も相当長い間、地獄にしがみついてきたんだろうな、と直感的に思いました(笑)

 

だからこそ、他人の限界ラインも分かるのだと思いますカギ

 

 

 

私は、自分がとてつもなく頑固な部分がある事を自覚しています。

性格的に、難点が多すぎるんですよね・・・滝汗

 

その自分の難点を昔は全くコントロール出来ませんでしたが、

最近は、コントロール出来る様になりましたキラキラ

 

秘訣は、やっぱり自分を理解して許していくことです。

これ以外は無いのです。

 

 

 

 

 

過去世で、何回も何回も、地獄にしがみつきながら、

私も、幸せになる事に失敗し続けてきたのだと思いました。

 

死んでいく時に、

「あぁ、また幸せにはなれなかった・・・」

そんな風に、後悔しながら死んだ事が多々あった気がしています。

 

だからこその、

今世、私は絶対に幸せになる!というブレない決意なのかもしれません。

この本を読んだ時、そう深く思いました(涙)

 

 

 

 

 

結局、人というのは、

自分で自分の人生を確実に選んでいる訳です。

 

不幸な人生であっても、その本人にしてみれば、

不幸に対して、自分なりの意味を持っている事が多いのです。

 

ここは案外、自分では自覚出来ないポイントで、

だから限界がくると、怒りが出るのだと思います。

 

 

 

不幸にしがみつく人生であっても、何回も何回もやってみて、

その果てに、ついに幸せになった~アップという展開なのも、

魂ドラマとしては面白いのかもしれません。

 

幸せになりたいという人にとって、不幸にしがみつく人生というのも、
魂にとってみれば、意味ある面白い人生なのかもしれないと最近は思うのです。
 
 
 
 
とは言え、私の様に、もう絶対に幸せになりたい!!
と決めて生まれて来た様な人は、
不幸にしがみつく自分を、
何が何でもやめていかなければなりません。
 
 
 
ぶっちゃけ、ここからは相当難易度があがりますグラサン
確固たる意志がマストで必要です。
 
だから、完全に自分をコントロール出来る必要があるし、
抑圧に振り回されている場合じゃないし、
怒る事の無意味さを心底分かっている必要があります。
 
持っている怒りや、憎しみなどのネガティブな感情を、
極限までそぎ落とす必要があるのですから。
 
 
 
これを実践していくには相当な精神力が必要で、
どれだけ自分の精神に集中できるか?が出来るまで試されたりします。
 
更には、自分が握りしめてきたものを、
どんどん捨てていかざるを得なくなるのです。
 
もうね、覚悟していたけど、ヤバイね泣き笑い
 
ある程度上がるまで、次々と課題が降って来るので、
人生の中で休む暇も無いっていう感じでしたあせる
 
 
 
 
まさに、自力の世界観となります。
自分が持っている力が全て、なのです。
 
私がよくブログで、自分が全てと書くのは、ここがあるからです。
 
それに、そういう人は、誰に言われなくても、
決して諦めずに、自分というものを確立していくと思います。
 
私が、加藤諦三先生にシンパシーを感じるのは、
諦の字が入っているからかもしれません(笑)
 
絶対に諦めないぞ!!的な覚悟です。
 
 
 
 
だから、とにかく上に行きたい、
私は甘やかす系の先生は好きじゃないのです。
ただ答えを教えるタイプの先生も求めません。
 
ちゃんと、私の力をパワーアップしてくれるタイプの先生しか合わないのです。
 
自分より圧倒的に力がある先生を探すのって、
マジで凄く難しいなって過去に何度も思いました。
 
Kuさんと加藤先生に出逢えてラッキーでした!
 
 
 
 
私が、個人セッションや、幸せの心を創る学校をやっているのは、
一度、学んだ事というのは、しっかりとその人の魂まで刻み込まれれば、
来世も、またその知識を持った所からスタート出来ると考えているからです。
 
なぜそう思うかと言うと、
今世、私は、潜在意識についての知識が既にあったのです。
 
潜在意識の本を読んだ時には、
「もう、これ知ってる!」と思いました。
つまり、産まれる前のどこかで知識を得た時があったという事になります。
 
だからこそ、自分がきちんと納得して望んで学んだ事については、
その人の経験や知識として、魂レベルに刻み込まれるはずなのです。
 
そして、次の人生で必ず役に立つのです。
 
 
 
けれども、嫌々やっているセッションや、
本当の自分を見たくないがためにやっているセッションや講座は、
どれだけやっても、魂レベルまで刻み込まれにくい気がします。
 
そういう事を実際に私も経験があって、
だからこそ、嫌々やるのは、私はオススメしませんね。
 
 
 
 
自分が本当に必要だと思う学びというのは、
やっていると楽しくてたまらなかったり、安堵や喜びを感じたり、
興味があって仕方なかったり、
どうしても自分はこれを受けなくてはならない!という強い直観などを感じます。
 

だから、もしも今やっている事で、それ以外の感情があるという事は、

実は自分にはもう必要ないことの可能性が高いのです。

 

本来は必要ない事なのに、

焦りや不安などから、

なんとなくやっちゃっているというパターンはけっこう多いです。

 

 

だから、迷ったらやれ!という言葉が自己啓発系では言われますが、

迷う様なうちは、やらない方がいいんじゃね?と私は思ったりします。

 

そんな動機でやっても、最後は愚痴を言っているパターンが多いからです。

それに、時間もお金も、もったいないなと思うし、

嫌な気分になる自分も可哀想です。

 

そういう安易なキャッチコピーに踊らされない方が良い気がしています。

 

 

 

人は天国を求めながら地獄にしがみつく。

あらゆる犠牲をはらっても地獄にしがみつく。

 

話しを戻すと、

 

今、なかなか思う様にネガティブな自分を変えられないという人も、

人はみーんな、天国を求めながら地獄にしがみついている。

そんなもんなんだ。と思って、

自分を少し許してみるといいと思います。

 

 

逆に、いやいや私は、もう絶対に幸せになりたい!と思う人は、

もしかしたら、自分が不幸に全力でしがみついているのかも??

という点に意識を向けて見ると良いと思うのです。

 

 

 

 

結局、どちらも本当の自分というものを見ていく練習な訳で、

自分というものに意識を向ける事が何よりも1番大事なポイントだからです。

 

 

自分に意識を向ける事のデメリットは何にも無いですが、

自分以外に意識を向けていると、

全力で不幸にしがみつく人生を継続するという事に繋がっていきます。

 

 

 

確かに今は、不幸にしがみついてはいるけれど、

そんな自分の事を冷静に見れたり、少しでも許せたら、

そこから不幸を手放していけるようになるのです。

 

不幸を手放さなくちゃいけない、じゃなくて、

しがみついている自分を許せば良かったのです照れキラキラ

(何回もしがみついていた過去の自分に言ってあげたい)

 

不幸にしがみついている自分すらも、許していいのだアップ

 

 

 

本当に幸せになっていきたい人は、そんなのんびりしていたらダメっす(笑)

確実に抜け出さないといけないので!

 

「幸せになりたい」という言葉の意味は、

「今の状態から抜け出したい」ということである。

 
 
 
 
 
 
 

 

私の様に毒親育ちで愛を知らない人でも、本気で覚悟を持って生きてると、

今の旦那さんの様に愛されて育った人があらわれて、

愛というものを教えてくれる流れになります。

 

こういう奇跡的な事こそが、潜在意識の持つ力だと思うのですキラキラ

だから潜在意識って私は本当に大好きハート

 

 

 

 

 

 

きょうもありがとうございましたハート

 

 

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