キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 
 
The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです 

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今ま色んなセッションをやってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

キラキラというコンセプトでこのブログはお送りしていますキラキラ

 

 

 

 

人は、本当に自分の心の中にあるものしか、
この現実という世界に投影する事は出来ません。
 
自分の心の中に本当に持っていることしか、
感じる事は出来ないのです。
 
今日は、そんなお話しです。
 
 
 
私は、今日引用するこの本のこの部分だけをどうしても読みたくて、
精神科医・フランクルの名著、夜と霧を買いました。
 
 
フランクルは、
アウシュビッツを生き抜いた心理学者です。

毒親育ちも、心という点では、
アウシュビッツの中に囚われている人と同じ心理状態でもあるので、フランクルから学べる事はとても多いので、オススメです。
 
 
 
 
 
心の中に本当に持っているというのは、「心が触れ合った体験をした」という事なのかもしれません。
 
 
いくら色々な経験をしていても、
人というのは、誰かと一緒にいる時に、
その人と心が触れ合っていなかったら、
虚しいだけになってししまう事の方が大きいのでしょう。
 
 
一緒にいても寂しいと感じる関係性と言うのは、
お互いの心と心が触れ合う事が出来ない関係性を言うのだと理解しています。
 
 
 
逆に、本当に心と心を触れ合わせる関係性を持てた人は、
万が一、その人を失ったとしても、
自分の心の中に、永遠にその人を感じられるものなんだと思います。
 
 
 
そう感じられる様になるには、
まずは自分が自分の本音を感じられなければ、
他人とも心を触れ合わせる事は出来ないという事でもあるのです。
 
 
 
 
もはやなにも残されていなくても
 
雪に足を取られ、氷に滑り、しょっちゅう支え支えられながら、
何キロもの道のりをこけつまろびつ、
やっとの思いで進んでいくあいだ、
もはや言葉はひとことも交わされなかった。
 
だがこのとき、わたしたちにはわかっていた。
ひとりひとりが伴侶に思いを馳せているのだということが。
 
 
わたしはときおり空を仰いだ。
星の輝きが薄れ、分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。
 
今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。
 
精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、
以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。 
 
わたしは妻と語っているような気がした。
妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。
まなざしでうながし、励ますのが見えた。
 
妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、
たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
 
 
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。
 
何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、
何人もの詩人がうたいあげた真実が、
生まれてはじめて骨身にしみたのだ。
 
 
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。
 
今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、
究極にして最高のことの意味を会得した。
 
愛により、愛のなかへと救われること! 
 
人は、この世にもはやなにも残されていなくても、
心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、
ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、
わたしは理解したのだ。
 
 
収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、
思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、
できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、
人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。
 
 
わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。
 
天使は永久の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という言葉の意味を。
 
 
目の前の仲間が倒れ、あとに続く者たちもつられて転んだ。
監視兵がさっそくとんできて殴りかかった。
 
数秒間、わたしの想像の生活は中断された。
 
だが、魂は瞬時に立ち直り、
ふたたび被収容者であるここからあらぬかなたへと逃れて、
また愛する妻との会話を再開した。
 
わたしが問いかけると、妻は答えた。妻が問えば、わたしが答えた。
 
 
「止まれ!」
工事現場に着いた。
「全員、道具を持て! つるはしとシャベルだ!」
 
みんなは、使いやすいシャベルやしっかりしたつるはしを手に入れようと、
まっ暗な小屋に殺到した。
 
「早くしろ、この豚犬野郎!」
 
ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。
きのうもそこにいた。
 
凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。
頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。
 
わたしの魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。 
まだ妻との語らいを続けていた。 
 
まだ妻はわたしと語らいつづけていた。
 
そのとき、あることに思い至った。 
妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!
 
そしてわたしは知り、学んだのだ。
 
愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、
愛する妻の精神的な存在、
つまり(哲学者のいう) 「本質」に深くかかわっている、
ということを。 
 
愛する妻の「現在」、わたしとともにあること、
肉体が存在すること、生きてあることは、
まったく問題の外なのだ。 
 
 
愛する妻がまだ生きているのか、
あるいはもう生きてはいないのか、
まるでわからなかった。
 
知るすべがなかった(収容生活をとおして、手紙は書くことも受け取ることもできなかった)。
 
だが、そんなことはこの瞬間、なぜかどうでもよかった。
 
愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、
わからなくてもまったくどうでもいい。
 
それはいっこうに、
わたしの愛の、愛する妻への思いの、
愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。
 
もしもあのとき、
妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、
かまわず心のなかでひたすら愛する妻を見つめていただろう。
 
心のなかで会話することに、
同じように熱心だったろうし、
それにより同じように満たされたことだろう。
 
あの瞬間、わたしは真実を知ったのだ。
「われを汝の心におきて印のごとくせよ其は愛は強くして死のごとくなればなり」(「雅歌」 第八章第六節)
 

 

 

このクライアントさんは、

私のセッションをいつも聞いているといいます。

 

 

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その事をずっと言語化してあげたいと思っていました上差し
 
 
それが正に、今日のブログの内容です。
 
 
 
 
 
 
母なるものを持った母親がこの世に居ないという事は、
想像を絶する寂しさの中に生きる事を意味します。
 
 
私も今世、それを実際に体験しました。
寂しくて寂しくて、
「こんなに寂しいのなら死んだ方がマシだ」
そう思い詰めて、自殺をしようとした事もあります。
 
 
母なるものを持った母が居ない事は、
それくらい、人間を壊滅的においやる事でもあるのだと思いました。
 
 
 
 
 
そんなどうする事も出来ない寂しさは、
一体、どうやったら乗り越える事が出来るのか?

 

生きている間には、何も打つ手はないのか?

 

そこがどうしても私の知りたかった部分なのです。

今日は夢が叶った日ですキラキラ

 

 

 

 

 

その答えに繋がるヒントを、

クライアントさんがくれた様に思いました。

 

 

 

 

私はセッションをする時に、可能な限り、

「本音」「本当に思ってる事」

「本当にクライアントさんの為になる事」

これを言う事を心がけています。
というか、それしか出来ないんです。
 
 
 
 
 
 
言ってみれば、最大限、心を触れ合わせようとしているのです。
私がやってあげられる事は、唯一、それだけだからです。
 
 
そこに、クライアントさん自身が少しづつ心を触れ合わせてくれば、
心と心を触れ合わせる体験をする事が出来るのです。
 
 
 
 
 
セッションを始めたばかりの頃は、
どうしても、クライアントさん側も自分の本音というのが分からない訳です。

 

抑圧を沢山しているからです。

 

 

 

 

 

抑圧していると、自分で自分の心に触れ合う事が出来ないのです。

だから、

その状態で、他人とも心が触れ合う経験が出来ないのは当たり前なのです。

 

 

この仕組みを知ったクライアントさんは、

自分で抑圧の解消に取り組みました。

 

数か月間はずっと辛かったと思います。

私も励ましましたが、その為の努力は本当に頑張ったと思います。

 

そして、人生はこうやって確実に報われていくものなんですキラキラ

 

 

 

 

 

その結果、だんだんと抑圧が解消されていって、

結果として、間接的にでも私のセッションを聞く事で、

疑似的に私と心が触れ合う経験が出来ているんだと思うのです。

 
これが本来の、子が母に求めている触れ合いでもあるのです。
 
 
 
 
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これは、他のクライアントさんでも同じ事が起きているなと、

今、書きながら気づきました。

 

 

 

 

親からは、心と心を触れ合わせる経験はさせてもらえなかったけれど、

私(他人)が相手のために誠心誠意、温かな本音で接し続ければ、

私の様な赤の他人とでも、

欠けてしまっている寂しくて仕方ない心を満たしていく事は可能だという証明になったと思います。

 

 

 

この仕事をしてきて、本当に良かったと思いました。

この事をブログに残す事が出来て、心の底から嬉しいです。

 

 

 

 

 

こういう経験を繰り返していくと、

その内、心の中に少しづつ、確信が出来て来ると思います。

 

 

その確信が確かなものとなっていくと、

フランクルの様に、実際にその人はいなくても、

自分の中に精神的な存在を感じられる日がくると思います。

 

 

その時には、あなたの中に、確かな心の支えが出来たという事です。

 

 

そういう人を、外から見た時には、

人は精神的な強さを感じるものなのです。

一般的にメンタルが強い人という印象です。

 

 

 

 

 

もしかしたら私も、クライアントさんと話す事によって、

その精神的な支えを太くしていっているのかもしれないなと思います。

 

 

そしてこれが、毒親育ちの寂しくてどうしようもない心を満たす、

最短で最良の方法だと私は思うのです。

 
 

諦めずにトライアンドエラーを繰り返しながらも、

ここまでやってきて良かったなと思うし、

自分がやっている事を言語化して残す事が出来て本当に本当に嬉しく思います。

 

 

泣いてるクライアントさんいるんじゃない??(笑)

 

 

 

 

このハウツーが、毒親育ちで苦しんでいる人の、

1つの明確な道になっていく様に、ブログに残しています。

 

 

 

 

愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、
愛する妻の精神的な存在、
つまり(哲学者のいう) 「本質」に深くかかわっている、
ということを。 
 
愛する妻の「現在」、わたしとともにあること、
肉体が存在すること、生きてあることは、
まったく問題の外なのだ。

 

 

私を信じて、セッションを受けて下さっているクライアントの皆様、
本当にありがとうございます。
 
私を信じてくれてありがとう!
 
 
 
この地球には、想像をぜっする様な寂しい世界もあるけれど、
その反対側には、温かくて優しい世界もあるんだよ。

 

 

 

 

自分が気づいていない自分、その自分に気がつける本

 

 

 

自分が抱えている漠然とした不安感
何をやっても消えない不安の正体が知りたいならこれ

 


 

「暴力性」「攻撃性」を知りたいならこれ

 

 

 

「良い子」で生きる事がなぜ生き辛くなってしまうのか?
「そんなバカなぁ!!」が分かる本

 

 

潜在意識の超基礎を学ぶならこれ!
マンガで読める、そこが1番のメリット

 

 

 

 

 

きょうもありがとうございましたハート

 

 

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