キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 
 
The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです

 

 

 

 

カギ カギ カギ カギ

 

今ま色んなセッションをやってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

 

 

キラキラ キラキラ キラキラ

 

「心の病んだ人」の周りには「心の病んだ人」が集まる

 

神経症的傾向の強い人は心理的健康な人とつきあうのは辛い。

心理的健康な人は、問題を解決するために現実的な努力をする。

 

神経症的傾向の強い人は現実的な努力をしない。

そうした努力は辛いから逃げる。

 

そこで神経症的傾向の強い人は現実的な努力をしないで、ただ歎いている。

そうしていても接することが出来る人と接する。

 

だから自然と、心の病んだ人は、心の病んだ人とつきあっている。

それがお互いに楽だからである。

 

問題解決に向けて現実的な努力をしないで、

後悔したり一緒になって人を批判していることの方が心理的に楽である。

 

神経症的傾向の強い人といってもいいし、

心の病んだ人といってもいいが、

そういう人たちは問題を解決する姿勢がない。

問題を解決しようとしない。

 

解決しなければならない問題を前にして、

ただ歎いていたり、文句をいっていたり、

人を批判したりしているだけである。

 

夜、一人でパソコンに向かい、

そうした書き込みサイトに延々と恋人、配偶者、

上司、同僚等々への不満を書き続ける。

 

ネットに相手への不満をいくら書いても、解決はしない。

 

心理的健康な人は、

解決しようとしないでただ歎いていたりする人とは一緒にならない。

どうしても解決しようとする人と接する。

 

そこで心に葛藤のある人は、

心理的健康な人とはなかなか人間関係が作れない。

 

心に葛藤のある人は、

一緒に歎いている人と一緒にいる方が楽である。

 

問題がある時には解決しようとする人と一緒にいることはきつい。

 

そこで先にも述べたように、

心の病んだ人は心の病んだ人と人間関係ができていく。

しかし将来展望は拓けていかない。

 

つまり生きていることが楽しくなるということはない。 

人間関係で楽しいことはない。 

人生に意味が出てくることはない。

 

愚痴と後悔は、その時その時は楽だけど、

どんどん生きることが辛くなる。

どんどん不愉快なことが増えてくる。

 

いくら相手への不満をネットで書き続けても、

結果として、「この人生は自分には対処出来ない」という無力感が強くなるだけである。

 

心に葛藤のある人は、

同じように心に葛藤のある人と一緒にいることは、

その瞬間は楽だけれども、長い目で見ると段々と生きるのが辛くなる。

不愉快な事柄は増えてくる。

 

そういう意味で、心の病んだ人の人生は依存症の人生と同じである。

 

アルコール依存症の人がアルコールを飲んだときには、

一瞬ホッとするが、結局もっと辛くなっている。

 

アルコール依存症の人にとってアルコールを飲むことが問題の解決になっているようであるが、結局問題を深刻化しているだけである。

 

 

理想と比べて現実を敷いてみたり、

人を批判しているときには、

その瞬間心理的には楽だけれども、

結局、生きることはどんどん辛くなっている。

 

人間関係で相手を批判しているときは楽だけれども、

結局もっと生きるのが辛くなっていく。

 

批判していることは楽だけれども、

結局誰とも心のふれあいは持てない。

 

自分の心の葛藤から目を背けて人を批判している人の周りには、

同じような人が集まる。 

 

地道な努力をしない人が集まる。

心の葛藤から目を背けている人は、

人を批判している自分自身を顧みない。

 

「なぜ自分はこんなに人を批判しているのだろう?」と考えることはない。

 

自らの心の葛藤から目を背けている人の周りには、

自己実現している人がいなくなる。

 

時が経てば経つほど、依存症的人生と、

自己実現している人の人生とは、違ったものになっていく。

 

このことがアドラーのいう、

「苦しみは解放と救済に通じる(註1)」という意味でもあろう。

 

現実の自分は、心の葛藤を抱えている。

その心の葛藤と向き合い、解決への努力をすることは「苦しみ」である。

その「苦しみ」が「解放と救済に通じる」 ということである。

 

自分の心の葛藤から目を背けていることは楽である。 

しかし声高に相手を批判したり、

何かあると責任転嫁をしたりしていると、

その時は楽だけれども、心の葛藤は深刻化する。 

 

生きることはどんどん不愉快なことになる。

 

心の葛藤から目を背けることは、

アルコール依存症の人がアルコールを飲み続けているのと同じことである。

 

アルコール依存症や薬物依存症やギャンブル依存症の人だけが依存症なのではない。

 

心の葛藤から目を背けて人を非難している人も、

同じように心に問題を抱えた依存症なのである。

 

心の葛藤から仕事に逃げている人にはワーカホリックという言葉があり、

案外自分が依存症であることに気がついている人も多い。

 

しかしただ何もしないで歎いていたり、

偉そうに人を批判している人は、

自分がアルコール依存症の人と同じような依存症であることに気がついていない。

 

現実逃避依存症である。

 

 

 

 

「心の病んだ人」の周りには「心の病んだ人」が集まる

これが、スピで言う所の波長の法則であり、
ある種、望まない引き寄せなのですあせる
 
 
反対に、心が健康な人の周りには、
心の健康な人が集まるという事でもありますアップ
 
 
 
 
心を成長させるという事は、苦しい事でもあるのです。
 
筋肉を成長させようと思った時には、筋トレをして筋肉痛になります。
それと同じで、心の成長も、必ず、成長痛みたいに痛い訳です。
 
その、痛い事を避ける心理が、心の病んでいる人という事です。
加藤先生は、神経症という言い方をしています。
 
 
 
 
痛い事をどうしても避けるのは、
今現在、余りにも心が傷ついていて疲れているから、
と言う理由です上差し
 
 
 
 
私も昔は、余りにも心が傷ついていて、疲れ果てていました。
 
ただ、それでも、生きていかなければならなかったので、
傷ついている事も、疲れ果てている事も感じない様に、
自分を感じない様に、心を麻痺させたのです。
(これが抑圧と言う心理です)
 
 
 
そうすると、生きるのに楽は楽でしたが、
生きる事が幸せあったり、楽しかったりする事も無かったのですゲッソリ
 
簡単に言えば、生き地獄っすね(笑)
 
 
 
 
そんな生き地獄から抜けられたきっかけが、
私の場合、死別でしたカギキラキラ
 
 
 
死別した時、現実的には圧倒的に不幸だったので、
「私は今不幸なんだ、そうか、私は昔から不幸だったんだ」
と、もともと自分が不幸の中で生きてきた事を、
すんなりと受け入れられたのです。
 
 
 
その時に、もしも自分が不幸の中で生きてきたという事を認めなければ、
今でも、不幸から抜け出す事は出来なかったと思います滝汗
 
 
 
気づいて、受け入れなければ、
決して、手放す事は出来ないからです。
 
 
これからの時代は、そうやって現実を受け入れるか否かの選択を迫られる時代でもあります。
 
その時に、いかに自分の現実を受け入れられるか?
そこが試されるのだと思いますカギキラキラ
 
 

 

自分が気づいていない自分、その自分に気がつける本

 

 

 

自分が抱えている漠然とした不安感
何をやっても消えない不安の正体が知りたいならこれ

 


 

「暴力性」「攻撃性」を知りたいならこれ

 

 

 

「良い子」で生きる事がなぜ生き辛くなってしまうのか?
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マンガで読める、そこが1番のメリット

 

 

 

 

 

きょうもありがとうございましたハート

 

 

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