The-Subconsciou
(潜在意識覚醒)
セラピストのNagiです
年末特別企画
個人セッションを募集してます
今回は先着2名です
締め切りました
お申込みありがとうございました
今まで
色んなセッションをやってきたけど
変われなかったって人は
最後の砦
「自分の中」
をやらないといけない
ってことだと思うよ!
「まだ気づいていない自分」に
気付くことが何よりも
大事なんだよ!
前回からの続きです
真実を受け入れるのは、とても難しい事なのです。
人間というのは、本当の事を突きつけられた時、
素直に受け入れられる人と、
絶対に認めようとしない人に分かれるのです。
余りにも心の中に、怒りや憎しみが占めてしまっている人は、
真実は絶対に認められません。
怒っているからです。
怒っている人に何を言っても仕方ないのと一緒です。
そうなってしまっている人は、
自分にとって薬である話も聞けないので、
考えを改めるまで、誰も手出しが出来なくなります。
今日は、そういう人の話についてです
昔の私のことです(笑)
私も超執着心が強くて、諦めが悪いタイプの人間です。
旦那さんには迷惑しかかけていません
死別するまで、人の話なんて1ミリも聞けない人でした。
自分についてなんて考えた事も無いし、
他人なんて、自分の駒、程度にしか考えていなかったのです。
恐ろしいですが、そんな人間をやってきたのです。
そしてもっと恐ろしいのは、
自分が良い人間だと思ってきた事です。
他人から見たら、酷く執着の強い人間だったのに、
私自身は自分の事を良い人間、優しい人間だと思っていました
つまり、自分に対して、全く自覚が無かったのです。
だから、人生にも行き詰ったんですけどね。
悲しい事実ですが、人生が生き辛い人というのは、
そうなってしまう理由がちゃんとあるという事です
けれど、それに気づいていないのは自分だけ、なのです。
そんな「私」が、
ついに死別によって強制終了となりました
友人関係、ママ友関係、
世間との関係、親との関係、兄弟との関係、
自分の価値感など。
ありとあらゆるものが終ったのです。
自分を成長させていく、
自分をアセンションさせていくという事は、
今まで自分が執着していた事が終る事を意味します。
そして、終わった所からまた新しい自分を創り直していくのです
しっかりと終わらせなければ、
新しいものは出来ないからです。
これが、破壊と再生です
人の骨も、破骨細胞と骨芽細胞があります。
常に破壊と再生を繰り返しているのです。
それを繰り返す事で保っている訳です。
新陳代謝です。
当然、心についても同じ事が言えます
人は安定を1番に望むので、当然破壊を恐れます。
過去の私も、破壊を恐れて恐れて、
何かが崩れるのが怖いから、
生き辛くても不幸に耐え抜いてきていた訳です。
文句を言って、誰かに憧れて、
自分から目を逸らして生きてきた訳です。
つまり破壊と再生が出来なかったのです。
新陳代謝できないですよね、これだと。
だから崩壊が起こったのです。
私がずっと安定だと思っていたのは、単なる不幸だったのです。
それが死別という形で崩壊しました。
死別は、不幸の崩壊でもあったのです。
私たち人間は、
どんなに嘆いていても成長していきたいのが本能なので、人生の中で必ず、自分を成長させるような出来事が訪れます。
それが、破壊の様に感じる出来事なのです
大事なのは、
破壊が起きた時に素直に受け入れられるか?
そこだなって思います。
中村うさぎさんも、その事を話しているので、
ゆっくり読んでみて下さい
65歳で貯金ゼロ…作家・中村うさぎが直面する老後の不安「生きるためには働くしかない」
病床にて心肺停止から蘇った中村うさぎさん(当時55歳、※本人提供)
買い物、ホスト通い、美容整形にハマった自らの体験を赤裸々に書き、女性たちから支持を集めてきた作家でエッセイストの中村うさぎさん(65@nakamura_usagi)。
前編では、引きこもり生活を経て再び美容整形に挑んだ経緯や失恋したホストとの再会劇などを聞いた。後編では、余生のプランや老いとの向き合い方、風俗の仕事経験、ゲイの夫と育んだ家族愛に迫った。
使ったカネは身になったけど失ったものは大きい
――2013年に緊急入院し、心肺停止、意識不明となり、死にかけた経験を持つうさぎさんですが、余生をどのように生きたいとお考えですか。
中村:余生は好きなことだけをやって生きていこうと思っていたんですが、病気をしてから10年間も「引きニート生活」を送っていたので、経済的に逼迫してきました。
私は収入がないにもかかわらず、お金をバンバン使ってしまう性格なので。ある日、家計を管理している夫から「うちはもう生活できないよ」と言われ……。「働かないとダメか」と思い、仕事をする気になったんです。
でも、10年間も引きニート生活をしていたんで、仕事の依頼も来ない。求人サイトを見ても、私にできる仕事は極端に少ないんです。病気の後遺症で今も杖をついて夫に介助してもらって外出しているので、通勤や動き回る仕事はできない。65歳なので、年齢的にも厳しいですし。
過去の自分に復讐されている気がする
中村:そう考えると、私にできる仕事は、在宅で書くことしかない。それで出版社の知り合いにライターの仕事を相談したら、数日後に「『中村うさぎ』の名前を出した途端に『イメージが悪いからダメ』と上司に却下された」と気まずそうに言われました。
私のイメージは過去に自分が書いた実体験や本音によって作り上げられたものだから、自業自得だなと。
そういう意味では、過去の自分に復讐されている気がします。
65歳って、多くの人が定年退職する年齢ですよね。その歳で貯金ゼロという現実に直面すると、過去にホストに3000万円注ぎ込んだり、ブランドの服に数千万円使ったりしなければよかったのかな……と思うことも。でも、そういった経験がなかったら今の私はないわけです。なので、後悔はないですね。
風俗の仕事を「やってよかった」と思う理由
――著書『あとは死ぬだけ』(太田出版)の中で、47歳の時に風俗の体験取材をされたことが書かれています。実際に体験してご自身の中で変化したことはありますか。
中村:仕事をやる前は、知らない男に対して口でのサービスなどできるのかなと心配でした。でも、やってみたら別にどうってことなかった。仕事だと思えば、心の負担もなく割り切ってできましたね。
風俗の仕事を通じて明らかになったのは、私が今までどれだけ男に対して嫌悪感や恐怖感を抱いていたかということ。現場では、密室で初対面の男と裸になって向き合うわけじゃないですか。だから、どんなお客さんが来るのか怖い。
でも、風俗に行き慣れている人は別としてお客さんも緊張していることがわかったんですね。
それまでは、男の性的衝動の強さや暴力性が怖かったのですが、男も知らない女に対して恐怖感があるんだなと気づいて、男というものと仲直りした感じがしました。だから、私にとって脳内の男性像を書き換えるきっかけとなり、やってよかったと思います。
死に損なったのは、罰に違いない
――著書『他者という病』(新潮社)の中では「私の死の体験は、いきなり『プツン』と電源が切れて真っ暗闇になる、という何とも呆気ないものだった」と書かれています。死の体験から生きることに対する捉え方は変わりましたか。
中村:うつ状態だった期間、ずっと「なんで、あの時死ねなかったんだろう」と悔しくてしょうがなかったです。スイッチを切るようにプツンと死ねるなんて、望んでもできないような死に方じゃないですか。今度は、痛い思いをしたり、のたうち回って死ぬかもしれない。それを考えると嫌になっちゃって。
あの時、病院にいたから蘇生処置が施され、息を吹き返して夫は喜んでくれたけど、私は「病院ではなく家にいたら死ねたのに」と思いました。
息を吹き返したことは、神様が私に与えた罰に違いない。そう思って、生き続けることは私にとって罰でしかなかったんです。生きていてもどうせ死ぬんだから……と思って、全くやる気が出なかった。
その後、10年が経ち、ようやく「生き残った以上、生き続けるしかないし、生きるためには働くしかない」という覚悟がついた気がします。
とはいえ、相変わらず「あの時、死んでいればよかった」と思うこともあります。歳を取ると体力もなくなるし、あらゆる機能が劣化していくのが自分でわかる。昨日できたことが、今日やりにくくなっていると感じることがあるんです。
そのなかで一番怖いのは、脳の劣化です。私の父親が現在90歳ですが、会話が成り立たないぐらい単語が出てこない。そんな父親の様子を見ていると、自分もその状況に近づいているんだなと暗澹たる思いに駆られます。
ブランド品に今は興味がない
中村:老いて機能が劣化していく自分とどう向き合うかは、お金の有無に関係なく迫られることです。私と同年代の人にとっては現実味を帯びていることだし、若い人にとってもいずれは訪れること。万人にとって切実な課題ですね。
――年齢とともに欲求は衰えていくものでしょうか。
中村:色恋欲に関しては、願望はあるものの、病気をして以降、ずっとオムツ履いているので諦めました。足も不自由なので、杖をつきながら男とラブホテルに向かう自分を想像すると「ギャグにしかならないわ」と思って(笑)。
もっと健康だったら色恋欲も出ていたかもしれませんが。
食については、体力が落ちてエネルギー消費量が減ったので1日1食しか取っていませんが、相変わらず食いしん坊で食欲は盛んです。
物欲は、なくなりましたね。昔、買い漁っていたブランド品にも、今は興味がないです。
ゲイの夫と「家族になった」と思った瞬間
――1度離婚を経験して、今の旦那さんとは、一切の性的交渉のない結婚生活を送っているそうですね。どのように家族愛を育んだのでしょうか。
中村:夫はゲイなので最初から恋愛関係がなく、年下なので弟みたいな存在でした。ただ、結婚して間もない頃、夫の病気が判明して「あんたが死ぬ間際になったら、誰に看取ってほしい?」と聞いたんです。
夫は香港出身なので、家族に看取ってもらう場合は香港から事前に呼び寄せないといけないから。その時の夫の答えは、「香港のママに看取ってほしい」でした。
結局、そのときの夫は何事もなく病気から回復したのですが、それから10年ほど経ったある日、もう一度、ふと同じ質問をしてみたんです。夫には彼氏がいるので、その彼も呼んでほしいかなと思って。
そしたら「最期を看取るのはあんたでいいわ」という答えでした。
その時、私自身は、選ばれたことが嬉しくて「これで家族になったのかもしれない」と感じました。
一方、夫が私と「家族になった」と思ったのは、別の時だったようです。彼は、結婚前から私が好き勝手に生きていることを知っていました。なので、私が何かをやらかした時には配偶者として責任を取らなければならないという覚悟を決めて結婚届を出したそう。
その後、私が税金を滞納したり、ホスト通いしたりしているのを見て、夫は「この人はこういう生き方しかできない。でも、いつかは息切れするだろうから、その時の帰る場所として家を守り続けることが自分の役目かもしれない」と思っていたそうです。彼にとって「家族になる」とは、「自身と全く違う生き方をしている私を受け入れること」だったんだなと思いました。
無力な存在になって地に足がついた
――現在、旦那さんに介護してもらう立場になったことを、どのように受け止めていますか。
中村:もともと人に頼るのが好きではない性格だったので、介護を受けざるを得ない状況になった時、ひどく落ち込みました。自分が無力な存在になったので、今はもう仕方がないと思って受け入れていますが。
でも、このような立場になったことは、少し謙虚になるよい機会だったと思います。病気をしていなかったら、ずっとブイブイ言わせていたでしょうから。
いつまでも調子に乗っていられないと自覚する身体になったことで、地に足がついたような気がします。
――夫婦で猫を飼ってらっしゃるそうですね。
中村:以前は7匹飼っていましたが、3匹死んで、現在は4匹います。夫が動物愛護家なので、捨てられた猫を見ると放っておけず、拾ってくるんです。私を介護してくれているのも、弱者救済の思いがあるからかもしれませんね。彼のような人と出会えて本当によかったと思います。
<取材・文・撮影/秋山志緒>
辛い事を受け入れられた人は、
その辛い出来事を自分にとっての学びにしていけます。
でも、受け入れない人も多いのが事実です。
辛い事=嫌な事だと決めつけているからです。
そうすると、私やうさぎさんの様に、
受け入れざるを得ない。
そんな状況までいくのです
だから、今がどんなに辛くても、
早くに受け入れた方が実は楽なのです。
不幸は受け入れれば受け入れるほど、
楽になっていってしまうからです
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