月組公演『桜嵐記』が千秋楽を迎える頃、こんなツイートを目にしました。

 (勝手に引用すみません…!)


私自身は『桜嵐記』は東京で2回ほど拝見した程度で、そのほんの一部しか観ていませんが、それでもすごく言いたいことがわかるようなツイートで心に残っていました。『桜嵐記』に限らず、そんな公演ってあるよなという感じで。

そしてその後、この言葉がふと頭を過ぎったのは、雪組公演『CITY HUNTER』『Fire Fever!』の東京公演が千秋楽へ向かうさなかのことでした。その場で生まれて、そして消えていく。映像や記録に残ったものが、その公演として固定されていく。それが演劇の特質であり定めであるとわかりつつ、それがそうであるからこそ今日も私は劇場に足を運ぶのだと自覚しつつ、それでもあの日々の欠片を残しておきたいと思ってしまい、年の瀬の迫る中こうして久しぶりにブログを立ち上げました。


雪の結晶『Fire Fever!』Scene7 -Fire Bird(永遠)-


こんなにも日々変化に富んでいて、そして私自身がその変化を感じて目に焼き付けてきたのは、このブランカの場面が1番だと思います。1回1回の観劇も、点が線になるような日々の起伏も、劇場だけでなく帰り道や日常の中でブランカの世界に思いを馳せた時間全てが私にとってのブランカでした。今はもうブルーレイ映像と、いずれ出てくる千秋楽映像しか残っていないこの場面で、私が何を観たのか。自分用の記録にはなってしまいますが、まとまった形で残しておけたらなぁと思います。


*全て個人の感想です。断定するような口調の箇所もあるかと思いますが、全て主観によるものです。目の前で見えたものそれが全てさ、の精神です。

*久城さんファンによる視点のため、完全久城さんアングルでお届けします。私の観た久城さんの記録です。



ブランカをリラックスした状態で観られたことは一度もなく、私の緊張は剣の舞の最中から始まっていました。畳み掛ける音とリズムと光に煽られる私の心臓。手拍子と拍手が唯一その緊張を外へ向けて吐き出させてくれるものでした。

エイトシャルマンな男役さんたちが銀橋を走り抜けて、このショーの中でもひときわ熱のこもった拍手が劇場を満たして、そして暗転にその熱が吸い込まれると、始まります。ブランカが。

吹き抜ける風の音、下手花道に降り始める雪、その中をゆっくりと歩いてくるひと。この物語の語り手。久城さん。あすくん。下手側や花道に近いお席では暗転の中から、コツ、コツと硬いのにどこか暖かさのある靴音が聞こえるのが好きでした。逆に遠いお席や2階席だと靴音は聞こえず、そうすると雪の降る暗闇の中にふわぁっとあすくんが現れるような感覚で、それもまた好きで。

ピンスポットが当たり、あすくんが振り向いて、その動く空気の余韻を見てから拍手をして。貸切公演のB席とか、私が拍手をしても周り誰も拍手をしない席なんかも座ったりしましたが、メンタルごりごりに削られつつも負けじと拍手をして、なるべく邪念を振り捨ててあすくんの表現に集中しようとした回もあったなぁ。2021年はあすくんの"歌で空気を変える力"に言及されることが多かったように思いますが、個人的には歌い始める前、振り返ってスポットが当たった瞬間からもうその場面の空気を作っていると感じていて。振り返る瞬間の空気の動き、あすくんから波及するようにブランカの世界が始まるような感覚は覚えていたい。書いていて思いましたが本の表紙を開く感覚にも近かったかもしれない…。物語の始まり。

♪お話しましょう 忘れえぬあの日のこと

「忘れ"え"ぬ」を「忘れ得ぬ」と聴かせる技術…。歌声が柔らかくて暖かいのはもちろん、ビブラートの揺れや響きを残して吸い込まれるように消えていく歌声そのものが粉雪のようで、あすくんの歌声が劇場に雪を降らせているのを確かに私は目にしました。特に東京に来てからは、たとえ2階のB席に座っていても、耳元で囁かれるように歌声が届いてくるのが凄すぎて…。その歌い方が叶うのは東宝が大劇場よりは小さい箱だからっていうのもあるのかなぁ。大劇場を余裕で満たすことができるから、東宝ではもう少し引き算して遊ぶこともできるんだろうな…と思ったりしていました。それが後半の歌い上げとの対比で効いていて、この日(10/3 15:30)はいっちばん歌い上げのところが目の前でオペラでぐっと見ちゃって、なんとも言えない泣きそうな顔してる上に歌声が既に泣いてるんだもんあれはずるい 泣くしかないですよね…。あやきわの歌の間すごく優しい笑顔だったのも印象的で、そこからのあの顔と歌声。ブランカの場面がいちばん生オケ復活して良かったなぁ…って感じる。あすくんは表情で泣いているときもあるけど、「歌声が泣いている」と感じるときもあって、だから笑っているのに泣いているって表現ができる人なんです…!

その後、♪それはとても"寒い"で体を震わせるような仕草をしたのが印象的だった回があって(10/14 13:30)、その仕草をした瞬間景色がまたぐっと雪の降るグレーの世界に塗り替えられて。ブルーレイ見たらやっていなかったのでこの日この仕草が目に焼き付いたのは普段と違う動きだったからなのかな…。

あやなちゃんがナウオンで話していた「語り手は未来のパブロかもしれない」というのもすごく素敵な解釈で。その話を聞いたせいかわかりませんが、ナウオン放送後の遠征(8月下旬)ではそれまで透明な存在として感じていた語り手が存在感を増して前景化して、"パブロとしての語り手"の感情、具体的に言うなら後悔のようなもの、が歌声に乗っているなと感じました。同じ場面を観ているのに、語り手の輪郭が濃く増して見えたのが面白い感覚で。

先ほど話していた回(10/14)も語り手=パブロだなと感じた回。語り手が花道から本舞台へと向かう背中を見ながら、物語の"中"に入っていくみたいだなぁと思った日。ブランカのことを歌いながら、♪思わず飛び出して 見つめ感じる、からもう泣き始めるようになったのはいつからだろう…。それまで笑顔で優しく語っていたからこそその表情にどうして?と心が引かれて、そこからの♪もう二度と… って言葉が答え合わせになって泣かせる歌い方。答え合わせの前に表情を崩せるのは結末を知っている人だけなの、だからあの回のあの人はパブロなんだと思った。ブランカが外へ飛び出した結果どうなったのかをもう知っている人。前まではずっと笑顔だったパブロとブランカのデュエットの間も笑顔が見られなくて、表情を追わずにはいられなかった…。

その次の回(10/19 18:30)は感情の入り方がいつもより激しかった。夜公演のせいかなぁ…。歌い出しから泣いてるような不安定さを感じさせる歌声で、引きで観てたけど♪思わず飛び出して 見つめ感じる、から顔くしゃくしゃにして泣いてて、そこから表情が気になりすぎてオペラオン。そのあとの歌い上げも声が泣いてて、感情が激しくて。でもあやきわデュエットに入るころ、その泣き顔のままふっと顔を上げたら粉雪が静かに降ってきて、それを見てふわぁっと顔を綻ばせて笑顔になるの。いっそ無邪気なくらいの笑顔。実際は舞台上に雪は降っていないのに、あすくんがふっと視線を上げるだけでそこに雪が降って、雪が見えて。前回はブランカの物語の中、同じ次元にいるように見えたけど、このときは語り手とパブロブランカは違う次元に存在していて、同じように降ってくる雪を介して二つの世界、次元が重なってるみたいに思えた。忘れ得ぬあの日の粉雪と、同じような降り方の雪が今の語り手のもとにも降り始めたんだな、それがブランカの記憶を紐解かせたんだなって。雪に浮かされてるみたいに、真ん中のあやきわを目に入れることなく、舞台の上をたゆたって行く語り手。ブランカの思い出があまりにも暖かいのが辛くて目を背けてるような感じにも受け取れた。いい笑顔すぎて不安定なの…。笑顔なのに不安で心配で、心が引き付けられてやまなかった。

10/31はマチソワ観劇して、どちらも♪彼女の命は…で歌い終えたあと、あやきわが歌い出してからの、歌のない部分の表情に釘付けだった。悲しそうに俯いてふと自分の手に目を止めて、それからゆっくり上を向いて。それだけで灰色のジャケットにふんわり雪が舞い降りて、色を失って溶けていくのが見えたし、それにつられて見上げた空から雪が降ってくるのも見えるの。それからふわぁっと綻ばせた笑顔は、この日はそんなに危うげには見えなくて、むしろ降ってくる雪が語り手の心を慰撫してるような安心感があった。

歌い終わり。語り手さんが語ろうとした「忘れえぬあの日のこと」は♪二人は〜降りしきる雪の中で生きた、までだったのかなぁって感じたのが10/8の13:30。そこまで歌って、少しだけ悲痛な顔をして、それから背を向けて立ち去ろうとしてるように見えたから。そこに火の鳥が現れるんだけど、語り手がそれに気づくのは一瞬遅くて。ハッとしたような驚いたような顔をして火の鳥を見つめて、そこからの……♪火の鳥は、ブランカの魂を…の歌い方は、終わるはずの物語に語り手も知らなかった続きの1ページがあるかのようだった。記憶を紐解いて語り聞かせてたはずなのに、いつの間にか語り手自身も新たな景色を見ているような顔をして、初めて読む文章が自然と口をついて出てきたみたいだった。彼の中では痛みを伴う記憶として閉じていたブランカの物語を、なぞるように語っていたとき、その中に起きた奇跡だったのかも、なんて。その記憶から痛みを浄化して、哀しい記憶から解き放たれて、そして去っていく。場面を通して語り手自身の感情が揺れ動いて、そして変化してるのをすごくすごく感じた回だった。

同じ箇所、別の日(10/22 13:30)は♪降りしきる雪の中で生きた、を全力で歌い上げたあと、ふっと我に返ったような顔をしたときにあすくんの周りの空気が急にシン、と温度を下げて、「あ、"語り手"に戻ってきた」って直感で感じた。語り手っていう役割から感情が昂ってはみ出してて、それを急にふっ…と自覚して、冷たい空気の中に感情が落ち着く様が鮮やかだったな…。最後の♪授けた〜のロングトーン、終わりを少し息圧上げてクレッシェンド気味に歌うパターンはこの日初めて見たかも。いつもノンビブラートで溶けていくような声で伸ばしていたけど、ほんの少しビブラートもかかって強める感じ、新しい。10/31のマチソワではマチネがこの歌い方、ソワレはまたすぅっと消えていくようなノンビブラートだった。マチソワで違う…

歌声がマチソワで全っ然違う、とは次の11/6にも感じて。マチネは少し抑えめに感じてちょっと調子出てないかなと思ったけど、ソワレは力が抜けて空間に溶けていくような声が抜群によかった…。マチネは語り始めから不思議なくらいふわっと笑っていたのが印象的だったけど、ソワレは雪が降り始めてもしばらくぼんやりしていて、そこからほんのり笑顔が見えて、って笑顔が見えるのちょっぴり遅めだったところも記憶に残ってる。

劇場マイ楽だった11/10 18:30。歌い出しの♪それはとても寒い雪の降る夜の"お"話、って歌ってたのがお初の感じ。普段は「話」だと思うし、詰めて押し出してくる歌い方初めてでちょっとびっくりした…!ちなみに千秋楽ライビュで観たときもこの歌い方だったのでいずれ放送される千秋楽映像ではこの歌い方聴けると思います多分。歌の後半は少し力強さが戻ってる感じして、ムラの頃の響き思い出したなぁ。あすくんの舞台の変化って、近ごろは最終的に原点回帰するような変化の仕方をするから、もう千秋楽近いんだなぁ…って気持ちになれた劇場マイ楽でした。

時系列前後して大劇場の千秋楽はライビュ、配信も観ることが出来ず、タカラヅカニュースの映像で映った少しの間を観て聴いたのみでしたが、語り手がパブロだとしたら、ブランカのことを振り返る"今"は"間もなくパブロもブランカのもとへ向かう瞬間"なのかなぁ…なんて思ったりもしていました。僕ももうすぐそちらへ行くよ、みたいな。最後にひとつ私の話を聞いてくださいますか、みたいな。そんな気がふとした。

東京の大千秋楽は映画館でライブビューイングでした🎞 まず語り手さんあんなにアップで映るって聞いてない…。最初は全身映るくらいの寄りだったからそのままいくかと思いきやアップのアングルに移って、しかもその変わり方が編集したみたいにすーっと透けて重なりながら変わっていったの鳥肌すぎた。ライブ配信でもあの映し方可能なの?? 映画館音響で聴くブランカはまた違う良さがあって、歌声に包まれている感覚は劇場に劣らないくらいでした。


あまりにも長いのですがここまで目を通してくださる方は果たしていらっしゃるでしょうか…。私の目に映ったものだけでもこれだけの景色が観られたのだということを、ただただ残しておきたいだけの記事でした。

観て聴いて感じるものももちろんですが、ひとつの歌い方や歌詞の言葉からいくらでも想像の翼が広げられる場面だなと思っています。公演はもう千秋楽を迎えてしまいましたが、映像に残っている回からでも、ぜひ色んなふうに観て、聴いて、降りしきる雪の中で生きたあの人たちへ思いを馳せていただけたら…。いちファンの分際でおこがましいですが、そう思っております。

拙い独りよがりの記録にはなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました! 今日は買うだけ買って食べる機会を逃し続けていた緑のきつねを年越しそばに、新年の明けた明日には赤いたぬきを食べて年末年始を過ごしたいと思います♡ 良いお年を〜❄️