★釘の向こう。 | ★しんどい心を らくちんへ ^ ^

早朝から

腸が痛くて目が覚めて

 

お腹を抱えて

トイレに行って

痛みのお腹をさすりながら

腸が動き出すのを待ってて

 

嘔吐と下すが

同時に

ドドドっとやって来る

 

 

 

で、

こういうときは

大体 昔の

腸の痛みの

記憶が蘇って来る。

 

 

 

 

 

中二の秋の入り口に

腸の手術をしていて

右下腹部に

14針の手術跡があるのだけど

そこが内側から突っ張って

手のひらと手首から肘と

足の裏と額に

脂汗が出るような痛さ

 

苦痛でできる

第3の目が開いたかのように

深く刻み込まれる

眉間のシワ

 

 

 

お腹が痛いから

病院に行きたい

 

 

という一言が

言えていれば

そんな大事には

至らなかったのだけど

 

 

お腹が空きすぎて

空腹で

お腹が痛くなったと思ったから

すこしガマンすれば

治ると思った

 

 

のと

 

 

お腹が痛いくらいで

病院に行くのも

どうかと思ったし

 

 

なにせ

母子家庭の伯母の家に

妹と二人で

身を置かせてもらってたので

「病院」なんていう贅沢な物

一円も稼いでいない

子どものあたしの口から

言い出せるハズがなかった。。

 

 

 

 

数日間寝込んでても

腹痛は治らなかったので

 

 

確か いとこのお姉ちゃんに

病院へ連れて行ってもらったのだけど

その日が日曜日だったので

急患診療所のようなとこで

異常なし とのこと

ガマンできないほど痛くなったら

再受診してください と言われて

痛み止めをもらって帰り

 

 

 

 

 

そこからが

大変だった

 

 

 

 

 

数日間

お腹の痛みが治らないまま

寝込んだ

 

 

ガマンできないほど痛くなったら って

どのくらいだろう・・・

 

 

痛いけど

これくらいで

ガマンできないとは言えないなぁ・・

 

 

痛いけど

まだ、、ガマンできる・・よなぁ・・

 

 

 

 

で、

 

 

 

痛みをガマンしすぎて

熱性ひきつけを起こした

 

 

夢のような

現実のような

感覚の中

朦朧として

 

身体中がそり返り硬直して

ひきつけを起こしてる

大声を出して暴れてる

舌を噛まないように

伯母が急いでタオルを口に突っ込む

力づくで阻止しようとするあたし

 

おばちゃんは

いつもそうやって

あたしに意地悪をする

のいてーー どいてーーー と

泣き叫ぶ

声にならない声で叫び散らす

 

 

 

 

 

 

 

そうして

フッと

意識が戻る

 

 

我に戻る

 

 

 

 

 

痛すぎるお腹

 

 

あたし

もう

ガマンできない痛さなんだ

 

 

 

 

 

 

 

翌日

大学病院へ連れて行ってもらって

あなたは死ぬとこだったと怒られて

即 開腹手術

 

 

 

 

 

盲腸が破裂して

腸に付着して

膿を生んでいた

 

 

 

 

 

手術室に入る直前の

動くベットで横たわるあたしを

伯母が見送ってくれた

 

 

 

手術室から出て来たときも

伯母が

よかった よかった

というような顔で

手術を終えたあたしの顔を

覗きこんでくれた

 

 

 

そのときに

あたしが言った言葉は

 

 

おばちゃん ごめんね

明日は 仕事に行ってね

 

 

 

 

 

何日間も耐えたお腹の痛みより

何時間もかかった手術より

 

伯母が仕事へ行くことを

休ませてしまったことの方が

 

あたしの罪悪感はデカく

心が傷んだ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その伯母が

この五月に永眠しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか

伯母に

短い言葉で

釘を刺された

 

 

 

 

 

 

18になったら

出て行ってね

 

 

高校卒業したら

出て行ってね

 
 
 

 

 

 

 

はい。と返事した。

 

 

言われなくても出て行く。

心で

つぶやいていた。

 

 

 

 

 

 

生きた心地のしなかった

思春期。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしが

お願いして

世話になった

わがままを言って

厄介になった

 

 

父が約束してくれた

うちらの生活費の入金は

父によって

早々に破られた

 

 

 

掃除も洗濯も食事の用意も

家事全般を

妹と分担して

身を置かせてもらった

 

 

 

高校も奨学金を借りて行った

 

伯母にも

いとこのお姉ちゃんにも

できる限り

金銭的にも精神的にも

迷惑をかけないように

迷惑をかけないように

がんばった

 


 

うちの父の

言いがかりや

被害妄想で

怒鳴り込まれたりと

たくさん迷惑をかけた

 

 

 

中二の夏から

高校卒業まで

五年もお世話になった

 

 

 

 

 

 

 

 

母子家庭で生きていた

伯母のガマンも

限界だったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釘の向こうには

 

18を過ぎた あたしは

一度しか

立ち入らなかった。

 

 

 

祖母に呼ばれて

結婚祝いを受け取りに

行ったときだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近寄りたくなかった。

 

 

 

自分の罪悪感に

圧し潰され縮こまる

思春期のあたしが垣間見える

 

釘の向こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恩返し

できなかったなぁ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと

 

 

 

たくさん泣いた

たくさん泣けた

 

今日でした。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月23日

 

 

ジェニーより