60歳が目の前になり、愛について自分が得たこと、それが誰かの役に立つかもしれない、と書いてみてる。 でも 人は経験しないと他人の忠告で心を動かすのは難しい。 そのうち消すかも.
「浮気をしない男性はいない」と言う女性の話を聞くことがある。
自分自身もそう思っていたし、女性から見てどんなに真面目に見える男性も、男だけで集まれば そんな人間はいなかった。
度胸や金銭、チャンスがない、モテない、現パートナーとのトラブルが面倒など 「出来ない」人はいたけれど
「したくない」人はいなかった。
自分は昔から女性に「決してハンサムでは無いよね」とか「苦手」とか言われることが多く、見た目もイマイチだし、背も平均より低く、細かいところがあり、サラリーマンに向かないタイプなので 不安だからか?わかりやすくモテて来なかった。
自分自身も女性が苦手。 でも欲望はある。
古いが「BOY」の歌に「カラダがなけりゃ おまえなんて・・・」ってあったけど。。。
そんな自分に自己嫌悪。。。だった。
ただ不思議と まったくモテないのに「自分が好きになった人」とは付き合えてた。
(これを読んで不快に思う人がいれば申し訳ない。)
その経験が「人気者じゃなくていい。たった一人理解者がいればいい」という人生の価値観にもつながっている。
初めて二十歳で深い恋愛をした相手が浮気して妊娠して別れ、自分は自暴自棄になり 誠実さもバカらしくなった。
モテないなりに 浮気することになんの罪悪感もなくなった。
いつかはバレて1番好きな人を失うことになる。
でも自分は学習できず、出会いと別れを繰り返した。
その副産物か?キレイ、セクシーダイナマイトな女性にも見慣れて飽きてしまい興味が薄れてしまった。
逆に むしろ人の痛みを感じるようになり相手の気持ちや幸せを考えるようになった。
目立ちたがりで「自分はキレイ、モテる」ってだけで自信満々の女性を見ると拒否反応が出るようになってしまった。
男性に対しても欲望のために物乞いのように媚びるか、暴力的に押さえつけるか、そんな二極の場面を見ると不快でしかなかった。歳を重ねるたびに、「自分らしくただ普通に接したい」 そう思うようになった。
身体的な欲望で愛したように思えてもいずれ消えて「愛にはたどり着かない」と気づいた。
結局、浮気したら誰も同じように見えて相手を特別だと思えなくなる。
大切に感じなくなり誰も愛せなくなるという変な成長をする。
相手を遊んで捨てたように見えるが 長い人生で考えると本当に捨てたのは自分自身の持つ「人を大切に愛する気持ち、大切にされ愛される喜び」という心を捨てているのだ。「欲望に見合わない」と思うようになった。
それで「もう誰も愛せないし愛さなくていいな。。。」って思いながら独りで生きていたら なぜか急に愛せる人に出会った。
本当に愛せる人に出会うと 1ミリも浮気したくならない。
もう今の自分は浮気じたいに吐き気さえする。
自分にとって1番好きな人とつきあうことが 短い人生で大切なことだと自分の人生では感じている。傷つくことを恐れてはいけない。若さはあっという間に過ぎてしまう。
「誰でもいい」は「誰も愛せない」につながる。
モノも同じだと思う。1番欲しいモノを買う。お金が無いなら貯めて買う。
食費が安い人ほど医療費が高くなり.
食にお金をかけている人ほど医療費は安いというデータがある。
しかも安い食費の人の方がトータルは高いらしい。
良いモノを食べないと病気になり高くつくということだ。
理想の人と出会うことは難しいし、付き合えるのはさらにハードルがあがる。だから手の届く条件を考えるのは仕方ないと思う。
それでもシンプルに「心から愛せる人、モノを手にする」それを追い続けることは大切だと自分は思うようになった。
他人を軽くみる行為は自分が軽い人生を歩むことになる。
若い時はあっという間に老人になるなんて思っていなかった。だから「最上」より「最適」を選んで生きていた。
でも人生を振り返ると 自分を幸せにしたのは 「最上」だけだった。
手に入らなかったモノでも 追い続けた経験は大切な学びをくれた。
「最適」では何も残らなかった。
愛と欲はコインの表と裏・光と影のようなもの。
欲望は愛を手にしたように思える。でも影でしかない。
愛に似た影では無く 残りの短い人生が終わるまで愛のある光を追い続づけなければ、と思う。
(あくまでも個人の主観・人生観です)
スティーブジョブスは死ぬ間際 「自分の人生で得たものは何の意味もなかった。もっと愛に時間をかけるべきだった」と語ったという
