今日の仕事は折り込み。
怪我で休んでいる同僚がいる関係で、今日の出勤人数は2人。
(1人にならなくて良かった)
終わったのは13時を過ぎてたから、やっぱり時間がかかったな、という感じ。
買い物して帰る予定だったから、さらに遅くなり……
まあ、買い物途中で休んでいる同僚から電話が入って、スーパー内の邪魔にならなそうなところで話してたってのもあるんですけどね。
晩ご飯を食べながら、母から質問された。
「献立は、パッと閃いて決めるの?」
何せ、母の記憶にある私は、料理の手伝いもしない何もできない子、ですから。
そうだなぁ……
私の献立の決め方は少々変わってるかもしれない。
1.料理本などから1品だけヒントにするものを決める日。
2.主食(ご飯、パン、麺類)を決めて、それに合いそうなおかずを決める日。
3.ササっと目を瞑ってもできるメニュー(1品)をくじ引きする日。
だいたい、こんな3パターンをローテーションしてる。
1品だけ決めると、それに合わせたメニューってのが必然的に決まるから、あとは冷蔵庫を眺めて……という感じ。
今日は仕事帰りに買い物に行く予定だから、朝のうちに1から「フルーツサラダにしよう」だけ決定。
フルーツの盛り合わせを買ってきました。
メインにするのは……
そろそろハムを使い切らないとだから……
パスタソース入れをごそごそしたら、昨日賞味期限が切れたペペロンチーノが出てきた。
ハムとスナップエンドウ(同僚の家庭菜園でできたものをもらった)とブロッコリー、玉ねぎのペペロンチーノパスタに決定。
ということで、こうなりました。
ヨーグルトにハチミツを混ぜただけの、サラダと言うよりはデザート。
昨日見た映画は『ハンニバル・ライジング』。
ハンニバル・レクターシリーズの4作目。
ハンニバルの幼少期から青年期にかけての物語。
ハンニバル・レクターを演じるのはギャスパー・ウリエル。
他にどんな映画に出てるんだろう?とWikiってみたら、今年の1月にスキー事故で亡くなっていることを知りました。
まだ37歳だったそうで……。
じっと見つめる目。
全てを見透かされてしまいそうな目。
この目の演技が「アンソニー・ホプキンスに繋がってる!」と思わせるものでした。
『ハンニバル・ライジング』を見たのは、これが初めて。
レクターの幼少期は第二次世界大戦の真っただ中。
レクターには妹がいました。
広い屋敷に何人も使用人がいるような裕福な貴族。
戦火が迫ってきたことで人里離れた家(たぶん別荘)へ避難。
ところが、そこへ……悪人がやってきた。
あれは戦争中だから、ではない。
もともとの人としての心根が腐っている人たち。
あちこちの民家で奪略を繰り返しているような輩。
戦火に巻き込まれて父も母も死んでしまい、残されたのはハンニバルと妹のミーシャ。
幼いながらも妹を守ろうとするレクターの姿は、これから彼が起こす事件の数々と結びつかない。
食料が尽き、空腹に苛まれた奴らは、ミーシャを殺し食す。
その後、解放軍に保護されたハンニバルはソ連の孤児院で暮らしている。
妹の死のショックのため、声を失っていた。
この孤児院を脱走する時、今後の片鱗が見える。
相手を傷つけることをいとも容易くやってのける。
躊躇というものが無い。
最初、羊たちの沈黙を見たとき、ハンニバル・レクターという人物はサイコパスだと思っていた。
けれど、妹への思いなどを見ていると、ソシオパスなのかもしれない、と思い始めてる。
(サイコパス→先天性、ソシオパス→後天性)
目の前での両親の死。
妹を殺され食べられたというショック。
ショックのあまり失くしてしまっていた記憶を取り戻し、復讐しようとする強い思い。
そして、このハンニバル・ライジングで描かれた、好きな女性に拒まれ見放されたことが、復讐を終えた後でも殺人を犯し続けた原点なのかもしれない。
私自身、カニバリズムの心理的要因というのは理解できないから、ハッキリとしたことは言えないけれど。
実際に起きたカニバリズムの事件などでは、『好きな相手だから食べてしまいたい』というような理由があったと思う。
けれど、ハンニバルの場合は、『好きな相手』ではないんですよね。
『レッド・ドラゴン』(時期的には羊たちの沈黙の前、映画公開では3作目)で選んだ相手というのは、聞きに行ったクラシックコンサートで音を外しまくっていたオーケストラメンバーの一人。
ハンニバルの美的感覚から外れた人物を排除するだけでなく食す。
醜いと思っていたり、嫌いだと思っている人を、あえて食べるというのは、どういう心理なんだろう。
今回は、映画公開順に見たけれど、次に見る時には時系列にしようかな。
願いは叶うしかも、すぐに
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