今日はビーズ教室の日。

前回から作り始めていたMiroirネックレス。

1人は私の作った正規バージョン。

1人は外側のパール部分のみバージョン。

1には内側のチェーンとパール粒バージョン。

正規バージョンの方はまだ作り途中だけど、残りの2人は完成。

 

内側バージョンを作った方が、言う。

「やっぱり、ちょっと寂しいかな」

 

外側バージョンを作った方が、言う。

「やっぱり、ちょっと寂しいかな」

 

うん、両方が揃った時にバランスが取れるように個数を調整してるんだから、バラバラにしたらバランスが狂うのは当然なんですよね。

 

 

 

 

 

Rejetさんの『DAYLIGHT 無神コウ』(CV:木村良平)を聞きました。

 

 

 

 

今回のシリーズは、なかなか聞こうという手が伸びません。

毎月、どんどんCDが積み上がっていくのを見ながら……

それでもやっぱり聞く気が起きない。

 

今までとは違うストーリー展開だから、かもしれない。

最期を…予見するような物語だから、かもしれない。

 

「わたし」は魔族の心臓を持っていても、ヴァンパイアになるわけではないから、先には必ず”死”が待っている。

 

人間の「わたし」も、『彼』も、それは充分わかっている。

それでも、それは”今”ではなく、”ずっと先”のことだと思っている。

 

そんな矢先、不意に訪れる”死の予兆”。

 

わたしは『置いて行く側』だから、ある意味”平穏”かもしれない。

 

私(とーこ)自身、(もちろん)死の経験は無いし、寸前までいったという経験もない。

それでも、死を意識するような状況になったことはある。

 

東日本大震災の時。

大きく揺さぶられながら見上げたうちの店の建物と空。

非日常の景色(建物や道路)と、いつもと変わらない景色(空)を見つつ思ったことは、「これで自分の人生が終わるのか」ということ。

子供たちが独り立ちする姿を見ることができないのは残念だけど、心はとても穏やかだった。

 

本当の死を前にしたことはないから、この時の感情が全てなのかはわからない。

それでも、「わたし」の穏やかな様子を聞いていると、あの時私が感じた感情と同じ(あるいは似たもの)を抱いているのかもしれない、と思った。

 

対して『残される側』であるコウくん。

私自身、残される側になったことがある。

”その時”が来ることを知っていて、”その時”を避けることができないことも知っている。

生き続ける私は、どうするのが良いのか判断がつかない。

「もっと生きていてほしい」と思う。

それでも、充分頑張ってきているのだから、「がんばれ」とは言えない。

”その時”が近づくにつれて心に芽生えるのは『恐怖』。

 

コウくんがわたしと出会う前ならば、こういう別れなんてどうってことなかったはず。

わたしはコウくんの青空になったから。

残される側のほうが心が乱れるものなのかも、しれない。

 

 

 

 

物語の構成として思ったこと。

「シチュエーションCDというよりはドラマCDだな」


『彼』によって『わたし』の心がどう動くのか、何を感じたのかを楽しむのではなく、『彼』の心の動きを楽しむ、という感じ。

 

厳密にどういう分け方をしているのかは知らないけれど。

私的には、『彼の言動』で、私の心が動いたり熱を感じたりするのがシチュエーション作品だと思ってる。

 
それでいくと、DAYLIGHTは「わたし」が居ないシーンのほうが多い構成になってます。
作中ヒロインの「わたし」と同化するのは難しい。
ヒロインに声がついていなくても、『ドラマを見ているような』作品ということですね。
 
聞こうという気が起きにくいのは、これも関係してるのかもしれません。
 
 
 
 
 

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