今日は第3日曜ということで、日曜教室のある日。
送り盆だけど、いつもの3名様が集まってくれました。
今日は、10月下旬の気温って言ってたかな。
雨は降り続いているけど、風がほとんどないから、リビングの窓は全開。
寝室の窓は上部の小窓だけにして。
時折、そよそよ~とカーテンが動くところをみると、それなりに空気の流れはできてるっぽい。
室温は27度あったけど、今までがエアコン入れて28度(教室時)だったから、うっすら肌寒い。
昨夜はちゃんと布団をかけて寝たくらい寒かった。
数日間まともに日光が降り注がないだけで、こんなにも涼しくなるなんて。
太陽のパワーを改めて実感。
そんな今日のお昼ご飯。
冷蔵庫にはじゃがいも、にんじん、玉ねぎがある。
そこで、朝のうちに豚肉を解凍。
肉じゃがにするつもりで、材料を切り始め……
全て切り終わったところで、シチューに変更となりました。(笑)
カレーにしようか、シチューにしようかって一瞬考えたけど、春先以来シチューを食べてないな、ということで。
シチューにするには少々具が多かったけど。
まあ、たくさんお野菜食べれるから良しということで。
生協が来るまであと三日。
明日と明後日は葉物野菜を何とかしなくちゃ。
午後からはいつもの日曜日。
次の生協の注文書を書いて、クロスステッチをしながら映画を観る。
今日の映画は『シャイニング』。
1980年にアメリカ公開されたもので、原作はスティーヴン・キング、監督はスタンリー・キューブリック。
これを観たのは何回目かな。
そんなに多くない。
全部TV放送だし。
せいぜい3回くらいじゃなかったかな。
しかも、そのうちの1回は10代の頃。
怖いんだか、怖くないんだか、よくわからなかったことを覚えてる。
何となく不気味という印象が大きくて、「だから何」とか「どうして?」という事象に対する説明や落とし込みが薄くて、最終的に「なんだかよくわからなかったけど、キューブリックらしい映画だね」なんて風に思った。
そんなだから、あまり観たいとも思わず、きっと何度もあった見る機会を逃し続けてた。
それが、今回、どうして観ようと思ったのかというと。
続編になる『ドクター・スリープ』(2019年アメリカ)がWOWOWで放送されたから。
それに伴って、『シャイニング』も放送された。
きっと忘れてる部分も多いだろうと、『シャイニング』から観始めたというわけです。
大人になっても、よくわからないってのは変わらなかったですね。(苦笑)
で、今回、Wikiってみて初めて知ったのが、スティーヴン・キングは映画『シャイニング』を気に入っていなかった、ということ。
大筋の流れは同じにしても、違う点がものすごく多い。
原作で重要視して繊細に描かれた部分をすべてカットしていたり、母親の性格なんかも全然違う。
Wikiには原作の流れも合わせて載っているんだけど、どう考えても原作のほうが面白そう。
ってことで、今、ポチってきちゃった。
ついでに続編の『ドクター・スリープ』も。
映画『ドクタースリープ』は、現在観ている途中です。
そろそろ佳境に入ろうかというところ。
映画の作りとしては、映画『シャイニング』の要素を引き継ぎつつ、小説『シャイニング』の設定や背景を融合させてる。
こうして連続で観てても、さほど違和感なく済んでいるから、良い具合に調和できてると思う。
ただ、映画『シャイニング』では触れられなかったけれど、小説『シャイニング』で重要だとされていることは、映画『ドクタースリープ』に組み込まれているので、小説版を読んでいない私は「ん?そうだったの?知らなかったよ?」ってことがちょろちょろと出てくるけれど。
スタンリー・キューブリックは確かに優れた監督なんだろうけれど、けこういろいろなものを”端折ってしまう”タイプなんじゃないかな、と思う。
「暗示する」ということが、斜め上へ行ってしまってる、のかもしれない。
暗示される情景が出てきて、「あ…」と伏線に気付くという衝撃があることで、ある種の感動が生まれるのだけど。
キューブリックの場合は、暗示を示さずに「さあ、この伏線を分かれ」と言われてる感じ。
いや、下手するとその伏線すら端折ってたりしてる。
これ、実際撮影はしたけれど、思いっきり端折ってる(カットしてる)暗示シーンがあるそうです。
私にとって、キューブリック映画というのはちょっと苦手。
極端に減らされた情報量から正解を導き出さなければいけない、という風に、観ていて非常に神経を使う作品だと感じるんですよね。
あとね。
映像を観ていると心がザワザワする。
どうしてざわつくのかは分からないけれど。
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