今日のメニューは…
* 工事後半戦
* ひとりが好き、でも甘えたい
――――δ―――δ――――
今日から、うちの横にある立体駐車場の工事が始まりました。
一番伸ばすとうち(5階)を超えるくらいの大きなクレーンを使っての解体作業です。
1日でどのくらい進むのかな?と思っていたら、鉄骨部分の撤去は終わりました。
途中、何度か上から覗いてみて…
バーナーは使わないという話だったけど、鉄骨の柱を繋いでいる部分はバーナーで切断してました。
今日は風が涼しくて、窓を開けていたいところだったけど、予想していたよりも音はうるさくないものの、やっぱりそれなりに作業音ってのがありますからね。
途中から窓を閉めて、今日もエアコンに頑張ってもらってます。
そんな中、集金先のお客さんからようやく連絡がきて…
無事に1軒集金。
もう1軒は水曜の夜に、ということで。。。。
水曜の夜と言えば…もしかして台風の影響が酷くなってる頃じゃないだろうか。
――――δ―――δ――――
同僚とひとり暮らしの話になりました。
その同僚は今まで一度もひとり暮らしをした経験がなくて、現在は娘さん二人も結婚して外へ出ているので、ご主人と二人暮らし。
そして、その娘さんたちもわりと近くに住んでる(車で30分~40分)ということもあって、けっこう頻繁に泊まりに来てる。
もう一人の同僚も今までひとり暮らしの経験はなく、現在はご主人と子供を連れて戻ってきた娘さんとの四人暮らし。
同僚たちにしてみれば、それが普通の状態だからか、私がひとり暮らしで平気というのが信じられないみたい。
半年に一度くらい、こんな内容の話題になった時に決まって聞かれるのが…
「1人で寂しくないの?」
私が寂しくないと言うと、「強がり」と捉えてるっぽいのだけど。(笑)
これ、本心から寂しくないんですよね。
正確に言うとね。
決して寂しくないわけじゃないと思う。
ただ、子供が相手だと、私は親になるじゃないですか。
とすると、私は子供たちに甘えるわけにはいかない。
子供たちが何歳になっても、そこの意識は変わらない。
どんなにたくましくひとり立ちしていても、『守るべき存在』なんですね。
「心配じゃないの?」
これもよく質問されることですが。
私が心配しなければいけない時期はとっくに過ぎました。
私ができることは、心配して手や口を出すことではなく、信じること。
心配するって一見優しいことのように見えるけど、それは信じてないってことだと思うから。
じゃあ、ひとりが好きで平気なのかというと、私は『甘えたい』んだと思う。
全てをゆだねて守ってもらえるという安心感が欲しいんだと思う。
これ…裏を返すと、一緒にいてもひとりでいるのと同じ感覚を持てるということに通じます。
『甘えたいのに?』
私は、相手の存在を意識して気を遣い続けるというのが苦手なようです。
決して、そういう行動ができない、というわけではなく。
しなければいけない状況になれば、何時間でも何日でもぶっ通してやってのける”ある種の体力”はある。
その種の体力はあっても、疲労を感じないということはないですけどね。
私の場合、相手の存在を意識するということは、『~しなければならない』という思いが上位に来ているということ。
『~しなければならない』
『~してあげなければならない』
ひとりでいる時っていうのは、もちろんこんな『~しなければ』ってのは意識に上らない。
この状態を維持できる相手と一緒にいる、というのが私が望むことであり、ベストパートナーだと感じる。
じゃあ、『何もしない』のか?
決して、そうじゃない。
行動の動機は『~しなければならない』ではなくて、『~したい』。
自分の意思、自分の思いってことです。
そして、それに対して一切の反応は求めない。
私がしたいことをさせてもらったんだから、というだけ。
もし、それが余計なお世話で『しなくていい』というハッキリとした拒否反応が出たなら止めるだけ。
そうじゃないなら、反応の裏側まで考えて見えないところまで見ようとしなくて良い。
喜んでもらえたら、嬉しいと感じる。
特に反応がなくても、それはそれで良いと思う。
そうじゃないと、一緒に生活するなんてできやしない。
久しぶりにモアブラのルキを聞いて思った。
どんなことをされても、どんな扱いを受けても、シュウのことが一番好きなのに、シュウが許してくれるのを良いことにルキに心が揺れてしまうのは…
『全て受け入れてやる』
という、ひと言があったから、なのかもしれない。
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