今日はお休みということで、ゆっくり・・・といきたいところだったけど、ゴミ出しがあるために8時前には起き出し・・・・・。
いつものようにネットに繋いで、しばらくしてからフランスで起きたテロ事件のことを知りました。
普段テレビを見ない私だけど(テレビは映画を見るためと化してる)、ここはテレビだろうと電源ON。
・・・・・通常の番組やってる。。。
その後、ネットを徘徊している時に、この件についての様々な意見を目にしました。
重大事件だから報道すべきという人。
テロはある種の劇場型犯罪だから、わざわざ犯人側が喜ぶような報道をする必要はないというもの。
なるほど。
同じ物事ひとつとっても、あちらから見るのと、こちらから見るのとでは違ってくる。
一面しかないものっていうのは無いのだから、ある一点だけを見てどうこう言うのではなく、多角的に広い視野を持たなければ・・・・とあらためて思う。
と、こんなこともありつつ・・・・
友達のブログを読んでいたら『書きたい』と思ってたことを思い出しました。
実はこの間の感想ラッシュに入るところで、『書きたい』と思ったのだけど、怒涛の感想ラッシュに突入し、そのまま書くチャンスを逃してしまって忘れてたんですけどね。(苦笑)
さて、その話題というのは≪SとM≫のお話。
シチュCDの感想を書く時にもチラチラ書いているけれど、私にはSの要素っていうのが全くありません。
聞いている自分がSの役割の作品では、口では言い表せないほどの不快感と嫌悪感でいっぱいになります。
じゃあ、SMということ自体に嫌悪感があるんじゃないの?
探ってみると、ちっともそんなことないんですね。
自分がMの立場で扱われている作品には深く深く入り込んじゃう。
でも、これはあくまでも疑似体験だからでしょ?
確かに、実際とは違うかもしれない。
ただ、ソフトSMという括りの軽いものの経験から考えるに・・・・私はもっと先を望んでる。
ネットなどに転がっている≪SM≫の話や『診断』みたいなものだと、どうも感覚的に『違う』という思いが出てくる。
そこで、2年ほど前になりますが、『本当のSとM』というのはどういうことなのかって調べたことがあります。
実は、自分がS仕様のシチュCDを聞いて嫌悪感を覚えるまで、自分はSっ気がある方だと思ってました。
Mっ気も持ち合わせているから半々とか。
あとはシチュエーションで変わるのかなとか。
ところが、幾人か『本物』と思われるSの方たちのサイトの考察から、一つの結論に辿りつきました。
私にはSっ気はなく、Mである、と。
このことも、最初に話題に出した『多角的に見る』ということに繋がっていきます。
SにしてもMにしても、『これ』という一種類ではないということ。
Sの人にも色々なタイプの人がいるし、Mの人にも色々なタイプがある。
『何を』求めているのか、どれをどう消化し発散するのか。
そこに個人差が出てくるんでしょう。
『書きたい』と思ったのはある一文を目にしたから。
SMに興味のない人は、SMという非日常に頼らずに自分の調子につじつまの合わせることができる器用な部分があるのではないか。
という内容だったのですが、これが実は衝撃的だったんです。
ズバリ言いあてられて、あぁそういうことか・・・って納得したというか。
私の場合。
曲がったことが嫌いで真面目な姉御肌。
プライドが高い方なので、自分が認めない人に屈するというのは絶対にしたくないこと。
と、まあ、一見Mじゃないんじゃないかと思っちゃう感じですよね。
(昔から『芯の強い子』という見られ方をしてました)
普通にSMに関係なく日常を過ごしているわけですが、自分の中には承認欲求というものが存在してる。
自分が自分であると、自分にも他人にも認めてもらいたい。
誰の目にも留まらず、誰の記憶にも残らないのは嫌。
きっと、そういう欲求があるから、こうして毎日何かしら記事を書き続けているのだろうと思う。
書いているから、しかもシチュCDにかこつけて自分のM嗜好のことも書けるから、つじつま合わせができているんだと思う。
でも、できることなら更なるものを・・・と求める気持ちは間違いなくある。
自分のプライドを打ち砕かれて屈服させられたい欲望。
自分の全てを把握されコントロールされたい欲求。
だって、私をコントロールしてるってことは、私のことを理解して見ていてくれてるってことに他ならないと思うから。
多面体である『私』の全てを受け入れてくれる強さと心の広さを持った人を求めてる。
そんな思いが根底にある。
これは、私の思うところだから、『自分もMだけど違うな』って人だってたくさんいるはず。
(前述のSの方の場合、激情に駆られる気持ちを別の濃密な形で熟成させ発散させるのだという)
さて、ここで友達の記事に関連して。。
人間の欲求って果ての無いものだから・・・。
最悪の事態だと『死』ってのが出てきちゃう。
死までいかなくても、治療が必要な怪我とか。
そこら辺の兼ね合いですよね。
Mの立場からすると、自分の理性と状況を完璧に把握し制御できる人しか認めない。
そうじゃないと、安心して身を任せるなんてできないから。
Sからしてもきっとそうよね。
望むままにエスカレートしていけば、待ち受けているのは『犯罪者』だから。
ここが、『本物』と『偽物』というか、『疑似』って方が良いのかな、の差が出てくるところだと思う。
自分の激情をコントロールしつつ、相手のこともコントロールしていく。
冷静さを保って状況判断に長けてる人じゃないと、本物のSとは言えないと思う。
もちろん、Mの方にもある種の冷静さは必要。
大切なパートナーを犯罪者にしないために、自分の欲望を律することを忘れちゃいけない。
それから、大切なこと。
愛するがゆえに支配したいという気持ち。
愛するがゆえに支配されたいという思い。
一番重要なのは、そこに『愛』がある、ということ。

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