今日も風の強い一日でした。
私の寝室は北向き。
朝目覚めて窓を開け、次に開ける窓も隣の北と西を向いている部屋。
南側に移動して、窓を開ける。
風が一気に入ってきて・・・・・・・・・・背後で何やら嫌な音が・・・・。
恐る恐る振り向くと・・・・・
昨夜から作りかけてたライトイメージのアクセサリーが・・・・
フェルトを分厚くしたようなビーズマット(画像でビーズアクセの下に写ってるアレ)の上にビーズを出してるのだけど、作りかけだからビーズは出しっ放しなわけですよ。
それが風にあおられて飛ばされちゃった。
朝から、地べたに這いつくばってビーズ拾いからのスタートになってしまいました。
キーボードの上にも1粒発見。
キーの間に挟まった形になってるのか、ひっくり返しても落ちてくれない。
紙を二つに折り畳んで、そーーーーっと・・・・・
中に落ちてしまいました。
だ、大丈夫だよね??
そんなスタートでしたが、今日は新月から数えて10日目。
ボディケアでマッサージか良い日。
ってことで、お昼から夕方までのフリータイムを利用して行ってきました。
前回、とってもこってますよって言われて、更に自分でも自覚している肩周りを中心に。
コースで言うと『ヘッドショルダー』。
15分単位ということで、30分コースを選択。
頭よりも肩から肩甲骨にかけてのほうを重点的にお願いしました。
担当してくれたのは、前回と同じ方。
今回やってもらってビックリしたのは、『腕もこってる』ってこと。
肩がこるっていう自覚はあっても腕がこってるとは思ったことなかった。
でも考えてみたら、紙束なんて重いものを持ち運んだりしてるだけじゃなく、こうやってキーボード打ってる時でも、ドライヤーで髪の毛乾かしてるときでも、寝転がって本を読んでいる時でも、腕の筋肉って常に使ってるのよね。
今朝、息子の呟き。
この記事を受けてのものだったのだけど、
『キレる母たち。その怒り、いったい誰のため?』
http://www.huffingtonpost.jp/kashiko/angry_b_564
という記事。
『叱るというか、諭されてた感はあるなぁ』
という呟きを受けて、会話がスタート。
「ふと気付いたんだよね。怒る必要なんてないんじゃないかってね」
『え、で、それで諭すという結論に至ったの?』
「うん、そう」
『なるほどねwでもまぁ、結果的にはOKだったんじゃない』
そう、本当にふと気がついた。
声を荒げて怒鳴る必要も、手をあげる必要も、怒り続ける必要も、全く無いんじゃないかって。
急激にストップをかけなくちゃいけない時は大声を出すけれど、それは叱ったり怒ったりする時じゃない。
本人や他人が怪我をする危険性があるとか、命の危険があるとか、犯罪にかかわることとか。
そういうことだけ。
もちろん、最初っから分かってたわけじゃなくて、私もご多分に漏れず『怒る母』でした。
お片付けをしないと怒り、遊び食べで怒り、宿題をしないと怒り、家の中を走り回って怒り(マンションで階下に響くから)
だけど、毎日怒っても結果は同じ。
毎日同じことの繰り返し。
放っておこうってやったこともあった。
数日後、机の上のあまりの乱雑さにキレて、乗っていた全てを地面に払い落したこともあった。
この辺りかな。(上の子が小学校2年くらい)
自分、何やってんだろ、って思ったの。
私が一番気になって仕方のなかったことって『お片付け』だったのね。
メチャクチャキレイってわけじゃないけど、小ざっぱりしてて、机の上が乱雑になってるとか、床の上に必要のないものが落ちてるとかってのが好きじゃないのね。
自分のその『感情』を押しつけてるって思った。
怒るって『私が』嫌だから怒るのね。
『そんなことない、これは子供たちのことを思ってのこと』
本当にそう思ってるのなら、怒らなくたっていいのよ。
どんなに子供が小さくても、親が本気で伝えようと努力すれば、不思議と伝わるものなの。
(トイレトレーニングに失敗し続けていた2歳前、心からお願いと語ったら、翌日からおむついらずになりました)
子供たちの机の上がどんなに乱雑だとしても、それはあの子たちのエリア。
おもちゃが床に散らばっていようと、それは子供部屋の話。
それにあの子たちにしてみれば、意味があってそこに置いているのかもしれない。
現に私にもそういう場所ってあるし。
そういう場所って乱雑に置かれているし。
それからかな、怒るのでもなく叱るのでもなく『助言』することにしたのは。
宿題をしていかなくて困るのは、自分。
忘れ物をして困るのも、自分。
部屋の中や机が乱雑な状態で、どこに何があるのかわからなくなって困るのも自分。
そうは言っても、おもちゃが散らかってると、どうしても気になる。私が。
そんな時は、私が片付けて、『どうよ』って自慢してました。子供相手に。
共有スペースに持ち込まれて置き去りにされたモノは、『私が』気になるので、どこか一ヶ所に集めた。
この山は娘、こっちの山は息子、みたいな感じで。
一応、声はかけますよ。
『自分の部屋に持っていってね』
それでも置きっ放しになっていると、それぞれの部屋に無造作に置きます。
これ、本当に無造作というよりは『嫌がらせか?』的な(笑)
机の上とか、部屋の隅とかじゃなくて、部屋の入り口とかど真ん中とか、絶対に邪魔だろうってところに置いてましたね。(笑)
自分の部屋から持ってきたなら、持って帰ればいいのに、リビングのソファに放置。
あっという間に座る場所が無くなる。
ってことで、ソファを処分したりもしました。
食べものの好き嫌いの問題もあったな。
元亭主のお兄さんのところは食事にうるさくて、食べきれずに残したとか、嫌いなものだから残したってものは、次の食事の時に再び出てくる。
新しく作るんじゃなくて、残ったものがね。
で、それを食べ終わらないと、みんなと一緒の食事ができない。
そういうシステムにしてた。
これ、傍から見ていてとっても可哀そうだった。
義理の兄とはいえ、別の家庭のことだから私がとやかく言える問題じゃない。
それでも、これじゃあ『食べる』ってことが苦痛にしかならないって感じた。
幼稚園くらいだったし、他のいとこたちが美味しそうに食べてるの見たら、そっちを食べたくなるのが当たり前。
それなのに、両親揃って怒鳴りつける。
『朝ご飯で残したものを食べなさい!』
好き嫌いしないようにとか、出されたものはちゃんと食べるようにっていう『躾け』なんだろうけど。。。。
小さいころに『これ嫌い』って言ってた食べものがアレルギーだったってこともあるんですよ。
これ、息子の実話です。
幼稚園頃からクルミやピーナッツを食べると、
『歯が痒くなる』
って言ってました。
大人が普通に考えて、歯が痒くなるなんてことはあり得ないから、何を言ってるんだかって思ってましたけど、その後アレルギー検査をして、ピーナッツやアーモンドといったナッツ類に強いアレルギー反応が出てることが分かりました。
顔などの皮膚だけでなく、喉の粘膜も腫れるために、呼吸困難を起こす。
息が上手く吸えなくなるから、脳に酸素が足りなくなって頭痛が起きる。
幸い2時間程度で症状は治まりましたけど。
それに、栄養素の問題でいけば、特定のものが食べられなくても、他で補うことが充分可能ですよね。
我が家では、嫌いなものでもお皿に乗せます。(アレルゲン以外)
残してもOK。
その日によって食べたい量だって違うわけだしね。
でも、そのまんまってわけじゃなくて、声はかけます。
『一口だけ食べてみる?』
あるいは、その食べ物の効能とか。
息子が高校に入るまで、どんなにしても食べなかったのがキノコ類。
『キノコは発がん性物質を抑えて・・・云々』←これは今では食べれるようになった息子によく言われます。
確かに子供にそんなこと言ったって、ねぇ。(笑)
でも、それでいいんだと思います。
娘も息子も、あんなにあった好き嫌いがピタッと無くなったのが高校に入って少ししてから。
この辺りで味覚が確立されるのかも。
だから、好き嫌いも心配してガミガミ言う必要ってないんです。
残しても怒られないっていう安心感と、食事は楽しむものっていう意識と、食べられなかったモノにいつでもチャレンジできるっていう環境があれば、いいんです。
もう、これだけで『怒る』2大要素が無くなりましたね。
怒らない日々って、とっても楽です。
『怒る』ってものすごいエネルギーを使いますからね。
そんな余分な力を使わないで済むようになると、不思議と他にもイライラしていたことが何てことないって思えてきます。
自分の気持ちに余裕ができるから、でしょうね。
そうすると、気がつくことがありますよ。
子供たちが落ち付いてくるんです。
今まで、≪愛情≫と≪怒られる≫ことという対極にあるものが押し寄せてきてたのが、≪愛情≫の方を感じる時間が増えるのだから、当然と言えば当然。
子供の年齢に合わせた≪モラル≫を年齢に合わせた言葉で語っていけばいいんです。
怒るのでもなく、叱るのでもなく、語る。
これが冒頭の息子の言葉になるわけです。
(いつもエロい話を書いてるばかりじゃないんですよ:コッソリ)

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