
本文はここから
私がアメブロを始めたのは2011年4月11日。
丸3年が経ち、4年目に突入です。
この間、『一日一記事』というスタイルを貫いてきました。
(今年に入ってからビーズブログとして現在は不定期に更新する日もあるから、そういう日は二記事になるけど)
どこかに出かけたとかで、0時までにUPが間に合わない日もあるけど、翌朝までにはUP。
アメーバのトラブルに巻き込まれて丸1日ログインできなかった日もあったけど、それでも日数は合わせてある。
この3年の間にたくさんのことがあった。
アメブロを始めてすぐの時に知り合い、それ以来ずっと変わらぬ付き合いをしてくれているブロ友さんもいる。
一時期仲が良かったけど、いつの間にかコメントが来なくなった人もいる。
たくさんの夢を追い続けている人とも知り合いになった。
今も変わらず夢に向かって進んでいる人もいれば、挫折してしまった人もいる。
3年間、変わらないこともあるけれど、変わったこともたくさんある。
変わらないのは、シチュCDにハマっていること、だろうか。
過去記事読んでて『ラッシュ』とか言いながら3枚しか画像が上がってなかったりするけれど。
(増量しているということは、ある意味変わったということか?:苦笑)
コメント欄も変化している。
一時期、ここは掲示板か?ってくらいの使われ方だったのだけど、今はおとなしいものだ。(笑)
これには『記事に対する』コメントがアメブロのコメント外で展開されているから、というオチが付いている。
TwitterにもFacebook(ここ最近連携が取れないのだけど)にも記事をUPすると記事アドレスを流す。
そこに『コメント』が付き、特にTwitterなどでは、そこで色々な話に発展していったりと、以前と変わらない様相があったりする。
毎日の生活としては、仕事は変わっていないけれど、ビーズ教室の部屋を6畳間からリビング+6畳間のぶち抜きに移動した。
これで、最大9人までが可能になった。(以前は最大6人)
以前は6人になろうものなら、私が動き回るスペースもなく、ビーズの出し入れもままならず、という感じだったのが、現在では人数が増えても、私の作業スペースは確保されている。
家にいる家族の人数も変化した。
娘が独立し、今年の春には息子も独立。
3人家族がそれぞれに一人暮らしをするという。(笑)
このところ、時間を見つけては過去記事を少しずつ読み返している。
表面的に分かる変化は、恋の相手が変わったこと。
内面に踏み込んでの変化は、ものごとの捉え方、考え方が変わってきていることがある。
この恋の相手の変化というのも、内面に関わっていくことだったりする。
有るべくしての変化。
そう感じてしまうほどの流れが、ある。
しかも、その流れの始まりは、全く想像もつかないところがスタートになっている。
一番最初はどこだろうと考えてみた。
遡れる一番最初というのは、2010年の夏、Twitterのアカウントを取ったこと、だろうか。
今となっては何故アカウントを取ろうと思ったのかは全然覚えていない。
開設しただけで全く使わないまま冬になる。
唐突に息子が『Twitter botって面白いのがあるよ』と見せてくれたのがNARUTOのカカシ。
ものの見事にハマった。
botだけでなく芸能人もフォローしようと思い立つ。
結局、フォローしたのは声優さんだけ。
同時に封印していたドラマCD・朗読CDに手が伸びる。
そこへ東日本大震災。
フォローしていたbotと声優さんたちの言葉に救われた。
諏訪部さんの『一人じゃないよ』という言葉、祥ちゃんの安否を気遣う言葉、オッキーのユーモアあふれる日常ツイート。
あの時期、揺れてるだけでピリピリしてたのに、自粛という名のもとで笑える番組が消えた。
笑ってホッとしたいのに。
地震の前日にフェロ☆メンのCDが届いていたというのも流れの一つ。
これを繰り返し聴き、眠れぬ神経を落ち着けた。
その諏訪部さんのブログにコメントを残したい、ということで開設したアメブロ。
それが2011年の4月11日。
他で書いていたブログを、どうせだからと引っ越した。
その諏訪部さんが出るというので、それまで手を出したことのなかった『乙女ゲーム』を初めて買った。
それが、『TOKYOヤマノテBOYS』。
Rejetと初めて出会うことになった作品。
アニメのOPとかで気に入って『欲しい~』ってなってもレンタル派だった私。
初めて『手にしたい』と思った。
キャラソンもレンタルでいくつか聞いたことあったけど…どうもキャラソンは自分には合わない、と感じていた。
だから、TYBのキャラソンも買うつもりはなかった。
でも、作詞がOP&EDと同じ人だと知り、買いを決めた。(この時まだ岩崎さんの認識はない)
その少し後、岩崎さんがRejetの社長であり、全作品の歌詞を手掛けていることを教えてもらった。
そして、その辺りから、まるで役目が終わったかのように諏訪部さんに対する好きの気持ちが薄らいでいく。
代わりにスイッチが入ったのが祥ちゃん。
何のためのスイッチだろう。
きっと、私に行動を起こさせるため。
『手の届かない人』という存在でも『会いに行ける』ということを体験させるため。
だからこそ、初めて会うのにお手紙を手渡しできるという幸運に恵まれたんだろう。
新撰組勿忘草で初めて岩崎さんにリプを飛ばした数ヵ月後、京都オフに向かう朝というタイミングでリプをもらう。
壬生寺では『季節外れの勿忘草』を目にし、泊まったホテル内のショップでは勿忘草の香水が売られていた。(この時から愛用)
そして、祥ちゃんのスイッチが切れた。
今から思うと、岩崎さんへの道ができたからスイッチが切れたように思うのだけど、その当時の私は『作家さんへの気持ち』と同等なものと見なしていた。
これは恋じゃない、と。
祥ちゃんのスイッチが切れた後、しばし迷走することになる。
方向性が見え始めたのは、心の曇りを取り除いた春から。
ただ、心酔しているのに認めていない自分がいる。
友の死を乗り越える力をもらい、『自分』のことを『自分の内面』のことを見つめた夏。
これはもう認めるしかないのかと思い始めた時に、私の注文データが迷子になるというトラブル。
迷子になったデータが戻った時に、私の気持ちの迷走も終わった。
もう、どんな言い訳しても無駄。
私は、あの人のことが好き。
今朝、あと30分で出勤しなければならない時間に「もう涙を隠さないで」が流れた。
まだウォークマンでは流れていないけれど、メインPCでも枕元PCでも幾度も流れている。
号泣したのは初日だけだったから、大丈夫だろうと思っていたのに。
突然、込み上げてくるものがあり、涙が溢れた。
『メイク前だったからギリセーフでしょ』
っていうメインPCの声が聞こえた気がした。(笑)

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