息子が家に居る最後の日曜日。

のはずだったのだけど、息子は普通に遊びに出かけ…(笑)

結局、私は一人の休日となりました。

ドラマやニュースドキュメンタリーを見ながら、昨日仕上がった新作アクセたちのレシピ書き。
書きながら、ふと…

『休日なのに、何で仕事してるんだろ?』

夕方、洗濯物を入れてから、ネイルの塗り直し。
シルバーメインで、先の方に濃いピンクラメをマーブルで乗せて…
ネイルの本には、『適当に乗せても、それらしく見えるから大胆に』とあったけど…
なんか変(爆)


さて、レシピ書きの合間に、アメーバトピックスの中から気になるタイトルのものを選んで、全部のページは見きれないから、冒頭のいくつかを読んでみた。

一つは、つわりが酷くて辛すぎるという、これからママになる人。
もう一つは、家庭が冷え切っていて離婚を考えている旦那さん。

なんだか、どっちも読んでるうちに辛くなってきちゃいました。

私自身はそこまでつわりも酷くなくて、娘の時はカレーがダメで、息子の時は歯磨き粉がダメだったという感じ。
回答の多くの方が語られていたように、つわりは赤ちゃんがお腹の中で生きているという証拠。
何とか乗り越えてほしい。

私は2回の流産を経験してる。(以前書いたことあるけど)
娘の前に1回、息子の前に1回。
息子の前の時のこと、絶対安静を言い渡されて、極力動かないようにしていたのだけど、出血が治まって数日はつわりがあったんです。
つわりは赤ちゃんが生きている証拠。
安静にしてたかいもなく、流れてしまったのだけど、その時に『この人と同じお墓に入りたくない』と思った。
人間的に冷たいこの人と、一生を共にできないと、初めて思ったのがこの時。
別れるということが現実問題として、頭の中に生まれた瞬間がここ。

それでも、どうしてももう一人欲しいという気持ちと、私にどう接して良いのか分からなくての態度なのかもしれないと…できるだけ良い方に考えてみた。
結局、私が放した手からは彼への愛情が零れ落ちていき、もう一つのトピックスのように家庭が冷え切ってると感じさせたのかもしれない。


スピリチュアルな考えでいくと、自分が生まれてくる時に自分で大まかなシナリオを決めているという。
どこまで細かく決めているんだろう。
人生のあちこちに散りばめられている『選択肢』の役割は?

ふと、ディアラバやTYBといったゲームのシナリオのような作り方をしてるのかも、と思ってみた。
小さな選択では順路が違うだけで、ルートは変わらない。
ターニングポイントなどと呼ばれる大きな選択の時に、別ルートへの道も用意されているのではないか。
けれど、最終到達点はほぼ同じ場所。
グッドエンド、バッドエンド、ノーマルエンドのように、感じるものは違うけれど。

一番最初の大きな選択。
あそこで、元亭主を選んだから、私は東京の学校を選んだ。
元亭主を選んでいなければ、札幌の学校だったはず。

今、大好きなあの人と出会うために、どっちが最短距離で、どっちが効率が良かったのかは分からない。
あの人は北海道出身で、年齢差を考えると、札幌に行った方が最短だったかもしれないし、大人と子供という感じになるから、やはり『今』なのかもしれない。

離婚して東日本大震災を経験したことが再び声の世界に戻る切っ掛けになった。
離婚してなくて震災を経験したとしたら?
共有パソコンということもあって、シチュCDに手を出したかどうか…
その前に、シチュCDという存在を知らないままかもしれない。
いずれは知ってハマるかもしれないが、そのタイミングはずっと先になっていそう。


タイミングよく、今日引いたカードは『決断』。
あの時こうしておけばよかったと後悔するのではなく、自分の心の声に従って真実求める道を選択する。
正しい道を進んでいるというカードもよく引く。

私は、どのルートを進んでいるんだろう。








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そういう考え方もあるのかって人も

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