お盆の週はいつも仕事量が激減する折り込み。
今日も絶対にお昼で終わるから、
なんて思って午後の予定を頭の中で算段していたら・・・
微妙に多い。
だけど、無理やり一回戦には抑え込めそうだ。
エリア指定のない少なめの広告がたくさんあったから、
いっそのこと機械を動かしながら、空いた所へポンポンと入れていった方が
いろいろ悩まずにいけたりする。
それなのに・・・
うちの職場の困ったチャン(最年長もうすぐ70歳)が
「あそこがアレでこっちがコレで」
と、指示を出して、
すぐに撤回。
「やっぱりあっちがソレで、こっちがアレ・・・」
これを数回繰り返す。
もう、いい加減にして~
こんなことで40分ほど時間をロス。
これが無ければ、お昼取らないで続行できたのに・・・。
と、愚痴りたくなることはあったりするのだけど・・・・

私は幸せ 派!
本文はここから私は幸せ。
実はこの『幸せ』に関してのことは、
高校(カトリック系)の宗教の授業の時の試験(時間内に書きあげレポート提出)
で書いて、満点をもらったことがある。
この時の考えと、今の考えと、大きな変化はない。
要約すると、
他人が見て、どんなに不幸な状態に見えようとも
『自分』が幸せだと思えば、『幸せ』なのだ、ということ。
(こんな短いことをよくあんなに長文に仕上げたものだwww)
自分の親も、一部の友達も、知り合い程度の人ですら、
私が不幸な道を歩いてきたと思ってる。
一番大きく不幸がられてしまうのは、二度の流産と離婚。
もちろん、『流産して幸せ』なんて思ったことはない。
今、強く感じることは、やはり全ては必然だったのかってこと。
一度目の流産は、結婚して4ヶ月後。
結婚してからも仕事(プログラマー)を続けていくつもりでいたのだけど
亭主による『無言の圧力』に屈して退職してからわずか2ヶ月後のこと。
痛みはないのだけど・・・・少量の不正出血があった。
増えもしない減りもしない極々少量の不正出血。
医学書読んでもよくわからない。
友達にも経験者がいないから相談もできない。
親は遠い。
唯一頼りになる”はず”の亭主は・・・・・不機嫌。
何故不機嫌なのかと言えば、不正出血があるからとえっちを拒否してるから。
この時、私は21歳。
まだまだ子供。
10日目になってようやく病院へ。。。。
そして、緊急手術。
赤ちゃんができていたこと、お腹の中で死んでしまっていたこと、
さらに、緊急手術しなければ子供が産めない身体になる可能性があること。
急いで電話。
手術することになったこと、迎えに来てほしいことを伝え。。。
何よりもパニックになっていた自分を・・・守ってほしかった。
ところが、彼の言葉は・・・『そんなこと言われたって帰れない』
先生や看護婦さんたちに慰められながら、
一人で手術を受けて、タクシーを呼んでもらって帰ったのだけど、
帰宅した彼から労わりの言葉をかけられた記憶がない。
冷静に考えれば、ここが一回目の別れるチャンスだった。
けれど、私の中にあったのは、『子供が欲しい』っていうことだけ。
二度目の流産は、娘が2歳くらい。
絶対安静にしていれば流産を食い止められるかもしれない。
そんな状況の時、娘の世話や日常の家事の手伝いに実家の母が
文字通り、飛んできてくれた。
精神的にも安心し、安静にしていたおかげで出血も止まり始め・・・。
その夜、帰宅した彼。
『コーヒーが飲みたい』
母が淹れてあげる、と立ち上がった途端、
『いや、お母さんは座ってて。とーこが淹れてよ』
労わる相手を間違えてる。
これには、普段温厚な母もむかついたらしく、
『とーこを安静な状態に置いておくために来たんだから!』
それでも釈然としないのか、
『それくらいのことできるだろう』みたいな発言をしてたけど。
この時に、
『あぁ、この人は、人間的に冷たい人なんだ』 と、はっきり認識した。
結局、流産となってしまったけれど、
この時も仕事は休まず。。。
この時が二回目の別れるチャンス。
これも、見過ごしてしまうのだけれど、
自分の心は完全に彼から離れてしまった。
愛情も感じない。
信頼もできない。
尊敬もできない。
私の愛情は100%子供たちへ。
この辺りから、
『俺への愛情の割合が少ない』
って、言い始めてたけれど、
それは当たり前だ。
だって、愛情を感じてなかったんだから。
大きく小さく訪れる『別れのチャンス』。
これの全てに耳をふさいで、目を閉じて・・・・・・。
ようやく訪れた最後の大きなチャンス。
離婚後すぐ、娘の小学校の卒業式があった。
『親への手紙』が用意されていて、
それを読んで涙が止まらなかった。
『ずっと笑わなかったお母さんが、前のように笑うようになって嬉しい』
あぁ、そうだったんだね。
離婚して経済的には比べ物にならないくらい厳しくなったけど
今、とっても幸せだよ。
この時から、どんなことにでも『幸せ』を感じられるようになったかな。
確かに『不幸』は感じてなかったけれど、『幸せ』も感じないという
不感症気味だった心が解放された感じ、とでも言えばいいのか。
離婚して12年。
たいした稼ぎにはならないけれど、好きだなって思える仕事ができて
文句は有りながらも笑いあえる同僚たちがいて
何だかんだとお互いに気遣いあえる子供たちがいて
心の奥底を曝け出せる友達がいて
そして、たくさん恋もした。
今も恋してる。
嫉妬に心がぐるぐるになったりするけれど・・・
あ、ちょっと分かったことがある。
心が不感症気味だった時。
それを『波』で表現するとしたら、『凪』。
揺れないように、波立たないように、何かで覆ってしまっている感じ。
それが解放されて、徐々に本来の波が戻ってきた。
『楽しい』や『嬉しい』や『幸せ』っていう波を感じられる半面、
『悲しい』や『寂しい』といった不規則に揺れる波も感じるようになってしまった。
きっと、子供の頃は親からの無償の愛でこの不規則な揺れは
ある程度制御できていて・・・・守られていてってのが正しいのかな。
波には増幅効果もあるのかな。
それとも、一気に解放されたわけじゃなくて、
リハビリが進むような感じで少しずつ解放されてきたのかな。
このところ、不規則に不安定に揺れる心の波を自分で抑えることが
困難になってきている。
(それでも最悪な状態までいかないのはエンジェル効果なのだろうけど)
これを見極めるためにっていう意味もあって
自分の心の奥底を探る旅を始めたのだけど。。。。
ちょっと・・・・いや、けっこうマズイものも見え隠れしていて・・・
見なければ良かったのか、
やはり、見るのが必要なことなのか。
ライトのキャラソンじゃないけれど、
心の深淵を覗きこんで、自分の本当の内面を知りたいとか
壊してしまいたいとかっていう欲求があるのは
紛れもない事実。
(今、あまりにもデジャヴで書いたのかも?って自分の記事を
探しにいくくらいだった)
あ!
今日、ヨーカドーを覗いてみたら、カナトくんのリアルテディが完売してた。
テディを手に入れることができたってことでも
大きな幸せを感じてる。
(単純?ww)

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