今日は25日。
ということで、集金開始。
一ヶ月経つのって早いなぁ。
確かに毎日いろいろとしているのは間違いないんだけど、
それでも何にもしていないような気になってしまう。
あぁ、でもここ数日は調べものしたりして、ちょっと『やった』感はあるか。
ということで、昨夜は『新撰組黙秘録勿忘草』の山崎さんを聞きました。
昨夜、ブログをUPしてから調べ始めて・・・・・・。
でも、情報が少ない!
歴史に疎い私は、もちろん山崎さんのことは何ひとつ知らず・・・
って威張って言うことじゃないけど。(苦笑)
初聞きの感想は今年の1月8日。
どのくらい後で調べたんだっけ。。。。
まあ、その時は調べたと言ってもWikiったくらいだったけど。
ざっと、大まかな知識だけ入れて・・・終わりみたいな。
さて、山崎さん。
諸氏調役兼監察、さらに新撰組の診療をしてくれていた松本良順に
簡単な医療を教えてもらっている。
他の仕事として、京と大阪の地理に明るいことから道案内をしたり、
その他交渉事に関わったり。
諜報活動もしていたので、偽名を使ったりしていたようだ。
調べてみても、よく分からないというのが本当のところ。
一般的に言われていたり、このシチュCDでもそうであるように
池田屋事件の時にあらかじめ情報を入手して、
近藤さんたちが入れるように手引きしたというのも
真実なのか、そうでないのか、よく分からない。
永倉さんは『いた』と言い、
だけど報奨金を受け取った隊士名簿の中に名前は無い。
死亡時期、というか場所もまちまち。
鳥羽・伏見の戦いの時に重傷を負い、江戸へ戻る船の中で息絶えたという説。
(山崎さんの実家にはこれが伝えられている)
戦いの最中に討死だったり、銃撃だったり。
入隊の時に妻がいたという家系図が残っているということだけど、
これにしても、彼の従兄弟だと思われている人物の家系図からの判断のようで、
従兄弟と思われている人物と本当に血縁関係があったのかのという証明は
されていないとのこと。
うーん、謎だらけだ。
ちなみに年齢も生まれ年がはっきりしないので憶測でしかない。
享年40くらいという人もいたけれど、
それだと、近藤さんよりも年上になっちゃう。
松本良順さんの書き残したものから、「近藤さんに可愛がられていた」と
いうのがあるので、5歳も6歳も年上とは考えにくい。
となると、他の人の享年34歳ってのが妥当な線か。
偽名を使い分けて活動していたとしたら、
死んだとされるのも間違いで、本当は名前を変えてその後も活動していた
ってのだったらいいな。
ま、何はともあれ、現在伝わっていることが真実なのだとしたら、
勿忘草の世界から、わずか4年で、しかも2番目に早い死になる。
(まあ、この辺りに密集してるんだけど)
CDの最後、
穏やかな日、
青い青い空を見上げる。
こんなに穏やかで美しい日が、数年ののちには・・・・・・・。
悲しいな。
悲しすぎるよ。
史実をしっかりと頭に入れながら聞き直すというのも、残り2人になった。
ここまで、4人聞き直したわけだけど、
以前書いた好きなランキングが変わりそうな予感がする。

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