昨日、サブの方に書いたんだけど、

昨日今日と連続で新撰組の映画を見てます。


昨日観たのは『壬生義士伝』。

今日観たのは『御法度』。


どちらの作品も、主人公として描かれているのは誰もが知っている人ではなく、
新撰組のことなら何でも知ってる!という勢いの人しか知らないんじゃないか、
というくらいの人物。

壬生義士伝では吉村貴一郎という実在の人物。
この人は盛岡の出で剣の腕が立ち師範代になっている人。

御法度では加納惣三郎という美少年。
一応実在の人物ということにはなっているようだけど、
現存する隊士名簿に名前は無いということのようだ。

もっとも、映画『御法度』は司馬遼太郎の小説を基にしているので、
実際とは違うようで・・・

ということで、ちょっとだけあらすじを。


作中の時期は1865年。
といっても歴史に疎い私には何のことやら・・・。
そこで、沖田さんのセリフから推察すると、
池田屋事件のあとで、伊東さんがまだ新撰組にいる時期になる。

このころ入隊した加納は同期入隊の田辺に口説かれ
衆道(男色つまりBL)へと足を踏み入れてしまう。

怪しい魅力を醸し出している加納に心を奪われていく隊士が出てくる。

この隊士、湯沢とも関係を持ってしまう。

そんな中、湯沢は誰かに切られ、死に、
女を教えようと島原へ連れ出した山崎も襲われる。

その時に落として行った小柄から犯人は田代と考えられ、
近藤が田代の粛清を云い渡す。

実行者は・・・加納。

介添え人として土方と沖田が暗闇に潜み見守る。

この時、田代の口から事の真実が語られる。

湯沢を切ったのも、山崎を襲ったのも、

加納惣三郎。


互角に戦っていたかと思ったその時、加納が『何か』を田代に囁く。

その声は沖田にも土方にも、そして画面のこちら側にいる私にも聞き取れない。

何を囁いたのか・・・この時に田代の動きが止まり、隙が生まれ。。。

田辺を切り捨てその場を立ち去る加納を見送り、
土方と沖田もその場を後にする。

が、『忘れ物をした』と先ほどの場所へ戻って行く沖田の後ろ姿を見ながら、
土方がつぶやく。

『総司が懸想しているのではなく、加納が沖田を懸想しているのか』
(微妙に違うかもだけど、こんな感じ↑)





これって、これって・・・・思いっきりBLの世界!

見終わってモヤモヤ感を持ってしまった人が結構いるみたいなんだけど、
BLにどっぷりと浸かっている私は結構スッキリ。


この映画の世界をBL風に解釈すると・・・・

田辺に口説かれた加納の年齢は数えで18歳。
今でいけば17歳。
剣の修行に明け暮れていた少年。
女を抱いたこともなければ、今の今まで男に口説かれることもなかったに違いない。

それでも17歳。
興味がないなんて・・・そんなわけない。
ついつい誘いに乗って快楽の虜になってもおかしくない。
他にも言い寄って来る人もいる。
ちょっと粉をかけてみたら、目を♡にする人がたくさんいたら。。。
恋愛に疎い少年が有頂天になってしまったとしても仕方ない。

ところが、しばらくしてから『これは違う』という意識が生まれる。

そう、ここまでの加納は『受』。

本当の自分の心に気がついたんじゃないか。

自分の好きな人は田辺でも湯沢でもない。


自分が恋慕うのは・・・・・・沖田総司。

しかも、それは今までのように抱かれるのではなく、『抱きたい』のだと。


でも、沖田には衆道の気は全くなく、自分の思いは一方通行。

ここで、まだまだ子供の域を出ない加納は壊れてしまったのではないか。

衆道というものを教えた田辺を恨み、
田辺がいることを知りつつ手を出してきた湯沢を憎み、
女を教えようという余計なことをした山崎を疎んじた。

そこで、湯沢を切り殺し、山崎を襲い、その罪を田辺に被せるように細工した。


加納もまさか自分が粛清を命じられるとは思わなかったろう。
もっとも自分で始末をつけられると喜んだのかもしれないが。

これを命じた近藤さん。
彼は全てを見切っていたんだろうか。



という具合に、BLモードになってしまった私の脳みそはBLチックに理解。

もっとも、これが大島渚監督の意図するところなのかどうかは・・・・。






さて、こんな風に加納は、
映画(小説)では衆道(BL)の人という描かれ方だけど、
現実では島原の太夫のところへ通いつめて、
資金がなくなると、辻斬り強盗をしてまで通うというとんでもない人物のようだ。

同期入門の田辺が加納の粛清を言い渡されたのだけど、返り討にあってしまう。

この辺りも映画とは逆。

その後、土方と沖田によって斬殺された。

というのが、伝わっている話のようだけど、
出典がないので事実かどうかはわからない。






昨日、壬生義士伝を観てから、改めて新撰組のことを調べてみた。
(といってもWikiだけど)


漠然と知っていた新撰組。

こうして映画やドラマになっている新撰組。

去年、壬生寺に行き、八木邸で説明してもらった真実の新撰組。


そして、私の大好きな『新撰組黙秘録勿忘草』の新撰組。



いろいろと知った今、初聞きの時と感想が変わるかもしれない。

そう思って、昨夜は沖田さんを聞き直し・・・・・・・・寝落ちました。(爆)

しかも初キスよりも前に。(ダメじゃん、わたし)



ということで、今夜はリベンジ。




で、ふと思ったんだけど、
どちらの映画も1ヶ月以上・・・もっとかな?前に録画してあったもの。

しかも、『御法度』のほうは新撰組だって気がついてなかった。

『壬生義士伝』の方は、壬生ってついてるから新撰組だなって分かってた。

だけど、『御法度』は・・・・・・どうして録画しておこうって思ってんだろう。
大島さんの遺作だからかな。。。。


そして、どちらもこのタイミングで見ようと思ったってこと。


一応、古い順に見ていってるけど、やっぱり気分にそぐわないものってあるわけで。

そんな感じで、この2本は見ないで、云わば置いてけぼり状態になってた。


それを、何の迷いもなく昨日今日と連続で見ようと思ったって。。。

なにか、意味があるんだろうか。











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