母性と父性の話しを書いたのはいつだったっけ。

もうずいぶん前のことで、あのころはまだテーマ分けもしていなかったから
『過去記事から探して』
っていうのは・・・あまりにも過酷。。。。

ってことで、きっと切り口も前と違うと思うから、
『こういう話、前にも読んだ~』
って言わないでねw



ちょっとブログ散策に出ていた時に、
子供に会おうとしない父親もいる、という文字が目についた。

離婚後の面会をしない父親がいるという。

これの理由として、子供に会うと余計に寂しくなるから、辛くなるから?
というふうに推察している。

確かに、そういう人もいるだろうな。


うちの場合は・・・・・。

うちもどちらかというと子供に会おうとしない父親の部類に入る。


離婚の話し合いをした時、まず最初に親権の話しをした。

この時、私は専業主婦なので無職。
特に手に職があるわけでもなく、子供を二人育てていく経済力はない。
キチンと養育費を支払ってもらわなければ不可能。

対して元亭主は高給取り。

子供たちを一人ずつなんて、そんなことはあり得ないから、
本気で親権争いをされたら負ける可能性が大きい。
これで子供たちがもっと小さければ、『母親が必要』となるのだろうけど、
小学6年と3年となれば、微妙なラインになってくる。

最悪の事態は覚悟した。

子供たちを手放すなんてそんなことは絶対に嫌。
子供たちも『お金がなくてもお母さんがいい』って言ってくれてる。
裁判で争ってでも親権を手に入れるつもりだった。
けど、負けてしまった場合、お金に苦労しない分、幸せかもしれない、と。

でも、とりあえず、『絶対渡すものか!』

という意気込みで、

『子供たちの親権はどうする?』と、問いかけてみた。

答えは、

「親権はいらない」

『へ?』

「子供はいらない」

いとも簡単に親権は私のものになった。



離婚前の取り決めで、面会日は月に1回と決めた。

これは、元亭主の意向。

面会場所は、ここ。


いくら、今まで父親らしさはゼロだったからといっても、
実際に子供と離れてしまったら、話だってしたいだろうし、
どこかへ出かけたりもしたいだろう。

そう思った私の考えは浅はかだった。

最初の面会は土曜日だった。
翌日、仕事が休みだから、もし泊まっていくのなら
自分は友達のところへ泊めてもらおうと考えていた。

その旨を元亭主に伝えると、ものすごく不思議そうな変な顔をして、

『2時間で帰るよ』

そう、10時に来て、12に時帰ると言う。

たったの2時間。


自分で『月1回』と言っていたのに、
実際には初っ端から3ヶ月に1回になり4ヶ月に1回になり・・・年2回になり・・・。

離婚後12年の間、この2時間の法則は破られることはなかった。

それどころか、
遅くに来て早くに帰るという・・・実質1時間なんて時も多々あったようだ。

この間、映画に連れて行ってくれたことが1回。

そう、12年間で1回。
たったの1回。

12時に帰るから、お昼を一緒に食べたことは1度もない。
お昼を食べなさい、とお金を置いて行ったことすらない。

うちに来ている2時間の間、何をしているのかというと、
テレビを見て、新聞を読んで・・・・・・・終わり。

親子の会話はほとんどしていない。

中学の頃の娘などは、
『いまさら父親面してごちゃごちゃ言って欲しくない』
と憤っていたっけ。
(試験の点数か成績表のことで何か言われたらしい)

じゃあ、何しに来ているのか。


これは、この家を見に来ているのだと思ってる。

ここのローンの支払いも彼、名義も彼。
私たちはタダでここに住んでいる。

『男の気配があったら家賃を払ってもらう』

これが、言い捨てて行った言葉。




どうして、彼は自分の子供を可愛がらなかったのだろう。
自分の子供に会いたいと思わないのか。


以前書いたことだけど、
女は、子供を産むことで母親への第一歩を踏み出す。

男は、自分の子を宿した妻を見て父親への第一歩を歩きだす。

そして、子供を育てることで、親も親として成長していく。


成長していく子供たちに合わせて、親としての関わり方も変化していく。

子供たちが小さい時は全面的に守らなければならないし、
それだけ手がかかるということになる。

だけど、それはいつまでも続くことじゃない。

子供たちは日々成長している。

昨日までと同じ手のかけ方ではなくなる。

成長に合わせて、手をかけるところ、手をかけないところ。
つまり、本人に任せる部分っていうのが増えていく。
年齢相応の責任も持たせていく。


だけど、子供たちが何歳になっても『自分の命よりも大切なもの』
であることに変わりはない。



『俺は子供よりもおまえが大切だと思ってきたのに』


こう言われて、嬉しいと思う人もいるだろうけど、
私は『私と仕事とどっちが大切なの?』というナンセンスな質問と
同じように感じた。


夫婦の愛と、子供への愛を同列に考えること自体がナンセンス。



実際にあったことだけど、
娘が子供部屋で一人で寝ていた時、真夜中に大きな地震があった。

子供部屋の娘のところへ走ろうとした。

が、彼に抱え込まれ、覆い被されて身動きできなかった。

この時、娘は2歳。

揺れが収まり、ようやく彼の腕から解放された私は娘の元へと走った。

娘は何が起きたのかわからず、ベッドの上に呆然と座っていた。



何かが起きた時、何を守らなければいけないか。
何が一番大切なのか。


私は2歳の娘を守りたかった。

彼曰く、とーこを守りたかった、と。



自分って愛されてるんだわ、って喜ぶ人もいるだろう。


感覚の違い。

親としての成長の差。


彼にとって、子供は守るものでも、愛すべきものでもなく、
自分と同列・・・・・・ライバルだったのかもしれない。









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