解散総選挙になりましたね。

これが予想されていたからなんでしょうが、
少し前から、近所に住むS学会の人から頻繁に電話があります。

まあ、分かりやすいと言ったら分かりやすい。

選挙が絡んでいない時は、全く何の連絡もないから。


以前、私のビーズ商品を買ってくれたこともあって、
電話が来ると、内心・・・

『面倒だ』
とか
『嫌だなぁ』
とか
思っても、

『ご近所さんだし、仕方ないか』


しかも、この人、電話で終わらせるのではなくて、直接対面したがる。


小冊子やら、ビラやら、何やら持ってくるから。

さっさと帰ってもらいたいから、もちろんお茶は出さない。

それでも、数人で現れて喋りたいだけ喋って帰っていく。

もちろん、『この人は素晴らしい人だからよろしく』の言葉は忘れない。

教えの素晴らしさについて切々と話していく時もある。


今日も電話があった。

午後の予約が入っていれば、教室の真っ最中の時間帯。


『年末が近くなってきたから忙しいんですよ~』

もう、話し聞くのも面倒だ。

(あれ?シュウがうつった?)



別に構わないんです。

誰が何を信仰していても。


ただ、それを政治に絡めて『お願い』に来てほしくないだけ。





父の実家は田舎町だから、
どの宗派か分からないけど、お寺さんの檀家になっていた。
祖父母の家に遊びに行くと、お婆ちゃんがお経をあげていた。

私自身(家族も含めて)は、洗礼は受けていないけれど、
幼稚園と高校はカトリック系のミッションスクール。
(付属の小学校と中学校はなかった)

高校の時の友達には神主の娘がいて週末は巫女さんやってた。


これらの知り合いから、勧誘を受けたことはない。


何かを信じて生きるとか、
信じる何かに祈るとか、
っていうのはあって良いことだと思う。

高校の時は、聖書の時間に『信仰と幸福』についてのレポートを
書くという授業で、神を信じているシスターに
『信仰に縋るのは心が弱いからではないのか』
『幸福というのは個々人によって違うもので、どんな状況であっても
自分が幸福だと感じていれば幸福だ』
と、まるで喧嘩売るような内容のモノを提出して
『優』をもらったっけ。


基本的に、この考えは大人になった今でも変わりはない。


どんな宗教でも、自分が信じているのなら信仰して良いと思う。

ただ、全てを棚上げにして、何も努力をしないで
『私は信じてるんだから救われるはずでしょ』
っていうのは違ってると思う。

今の時点で、自分にできることを精一杯やって、
色々悩んで、色々な繋がりを大事にして、
色々な意見に耳を傾けて・・・
曲がった思考に囚われないように。



『幸福』については、今も昔も考え方は全く変わっていない。

幸せと不幸せは自分の心の持ち方ひとつだと思っている。








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